尊敬する従兄、偉大な許博允が9月4日亡くなりました。

博允は東京で生まれ。

台湾の芸術文化に大きく貢献した人です。

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従妹のエリイが三枝成彰先生に連絡しているか心配していました。

すでに海外からお別れに来ている人がいて

葬儀の27日は弔問客が1000人になるのではと言われています。

博允と親交が特に深かった三枝先生に連絡すると

亡くなったことをすでにご存知でした。

約束は果たせなかったね。

 

最後のLINEは今年の7月7日でした。

闘病中だったけど私のお願いにも応えてくれて。

どれだけ助けられたか。

おかげで私は許一族の繋がりの強さと絆の深さをますます知りましたよ。

 

 

 

自分のことを取材されると、私にLINEで送ってくれました。

記事のURLを沢山並べて。

 

今はあなたがしてくれたように

私が真似をしてみます。

全部、博允の記事ですよ。

 

 

那個從來沒有任何官銜,視名利如浮雲,從不偽善,從不包裝自己,貢獻超過多數文化部長的許博允走了。

I'm proud of my cousin. He used his wealth for Taiwanese art. He never became a politician. In Shibuya, there is a ward councilor who openly says that if public funds run out, he will turn to crowdfunding.

But the biggest problem may be that they are poor in spirit.

 

 

台湾芸能の父、新象財団の創設者である許博允が80歳で亡くなった。

 

 

 

許博允は9月4日に80歳で病死した。作曲家、コラムニスト、テレビ番組製作及び司会、ゴルフ場デザイン、台北市政府市政顧問も務めた。多くの身分キャラクターは、特に新象芸術の創始者にとって重要で、台湾の演技芸術と国際交流の重要な推進者であり、「台湾芸能の父」と呼ばれています。

 

許博允1944年在日本東京出生,其祖父是華南早期重要股東、淡水富商許丙,他也是力積電董事長黃崇仁的表兄、華南許元禎的堂伯。

 

 

 

博允の生まれた東京のことを知ったらどうしたでしょうね。

神宮外苑や渋谷区の開発。

博允は環境問題にも多く関心を持っていました。

ペットボトルで作ったプラスチックのクジラの記事も

たくさん送ってくれましたね。

あなたの知っているあの玉川上水緑道の桜や樹木を、切ろうとしている人がいることを

私は病気の博允には伝えなかったけど、今はあなたも何もかも知りましたね。