念願のカフェ カルチェラタンに行ってきました。

メニューがいっぱいで
食べたいものがありすぎて・・・
まずはお野菜。美味しいです。

雑誌の仕事をしていた頃
フミちゃんというスタイリストとコンビでした。
そのフミちゃんの親友にエマがいて、
エマのバイト先に亀がいました。
亀は作曲家の亀井登志夫さんです。
亀井さんの親友に作詞家の康珍化さんがいました。
フミちゃんたちの間で、私の名前が出て
康さんが『許 瑛子さん?知ってる」
となり、
『えー、それじゃあ、みんなで会おう」
となったのでした。
康珍化さんと私はそれぞれが別の仕事をしていた頃に会ったことがありました。
康さんは広告代理店にいて、私は当時anan、JJなどのファッション誌の仕事をしていました。
フミちゃんから
「許さんのことを知っている人がいる」
と言われて、
「へえー会ってみたい」となって、
5人で会うことになったのが亀との出会いでした。

その時の康さんはまだ「桃色吐息」も書いていなくて…。新人作詞家の康珍化さんだったのです。
数えると怖いけど、30年以上、40年近い知り合いの私たちは思い出すと思い出がいっぱいです。
自分達の世界でお互いを重ねられる時に時間を共有しながら、近づいたり離れたりして、私たちはずっと友達で来ました。
人生をそれぞれに遠くから近くから眺めて来た友達の嬉しいニュース。
昔書いた曲が今のデビュー曲として発売されるというニュースは、私にとってもいろんな意味で大きな出来事なのです。
音楽業界は作り方が変わり、昔のような昔気質は尊重されません。
コンペという楽曲集めが仕事の主流です。
誰でも曲を書いて提出することができて、集められた曲は500曲にもなると聞いたこともあります。
作詞もコンペ。その中から集めた人が一曲を選び、それがリリースされてるわけです。
埋もれた499曲の中に名曲があったかもしれないことは、誰にもわからないまま時が流れているのが、今の音楽業界です。
曲を作るのも詞を書くのも、そんな単純ではありません。人には感性があり、表現にはメッセージ性があったのが昭和の物作りでした。
少なくとも私は康珍化さんからそういう目では見えない物が歌詞には込められている必要があるということを学びました。
例えばそれは「強い女」の生き方だとしたら、人生や人物像までを感じられる歌詞でなくてはいけなかったような気がします。
今の物作りはそういう目に写らない空気感を読み取れる制作者と出会えなければ、ただの同じテーマのデータとしてファイルされる物作りが主流です。
そんな昭和、平成、令和を生きてきた私としては、
丁寧な制作、そして人によっては自虐的に苦しい物作りの制作現場で生まれたかもしれない「予感」という作品が今の時代に聞いてもらえることが嬉しいのです。
芸術や文化はデータでは収まらないエネルギーなのだと伝わるといいなぁ。
老婆心ながら照れ





「予感」
作詞 斉藤由貴
作曲 亀井登志夫
編曲 武部聡志