俺たちひょうきん族の懺悔室の神様、ブッチー武者さん原案、劇団ZANGEの「生きる」を観てきました。

ブッチーさんは主人公の茂役。
誰のもとにもいつ訪れてもおかしくない介護がテーマの舞台。笑いと涙を誘われます。
 
 
舞台の収益の一部は車椅子として葛飾区に寄贈されました。
 
東京ベイロータリークラブの荒井会長によると、区によっては車椅子と杖は余りに余っているところもあるのだとか。高齢者社会が直面している全てが難しくて、
何がいいのだろう?と個人的には考えさせられました。
 
 
私の母の介護は9年でした。
自分を励まし母を看取り、今でも選択は間違いではなかったのか、自問自答し、時には悔やんだり、メソメソしたり。
行政や病院の対応、死へのプログラムを人が決めて良いのだろうか。
人はあんなにも冷酷になれるものなのか。
私は思い出しました。
大変な人から救うのが行政で並んでいる人が沢山いると言われた日々を。
病院のベッドも順番待ちだった緩和ケアのこと。
今でも疑問に答えは出ていません。
誰にも助けられない、助けてもらえないと追い込まれていくことの生き地獄。
癒えない悲しみ。
なので.共感できる部分が数え切れないほど沢山ありました。
 

このお芝居は「困っている人に手を差し伸べられる、お互いに助け合いながら生きるという事が人間社会にとって大切という事を、若い世代に伝える事を今作品の上演目的とし、企画・立案者であるブッチー武者が2006年京都伏見で実際に起こった『地裁が泣いた京都温情判決』事件に想いを得て作劇」されたそうです。

これからの若者が老人が、心強く生きられるためにも、この舞台を1人でも多くの方にオススメしたいと思いました。

そして安心できる社会への希望をなくさないことも大事。

有名な俳優が演じる舞台、注目だけど中身が観客にはよくわからなくなっている舞台より、こういう感動の舞台をおすすめしたいです。作り手にも観てほしいです。

この国が抱えている将来は人ごとではなく、逃げ場はないのです。

母の介護は9年で娘は15歳から私と一緒に介護をしていました。トイレの世話やお風呂、着替えや食事。私の姉は目が覚めた時に隣で寝ている母が亡くなっているのではないかと思う日が何度もあり、苦しみました。私は仕事を断ることもありました。

私は究極の選択を言えば、娘に介護をさせたくありません。行政はまず家族の義務と主張します。でも娘の人生を考えるとボケたらよろしくね!側にいてねと私は言っていいのでしょうか。

母は他人はイヤ!他人に介護されたくない!を死ぬまで貫き通しました。死の間際まで家族と看護士を区別し、ボケたら尚更他人を嫌いました。他人はイヤ、それが最後まで残っていた欲求でした。親子喧嘩をすると死にたいとも言いました。

人はどうやって生きればいいのでしょうか。

こういう生きる勇気をもらえるお芝居ってなかなか出会えなくなりましたよね。