前回の投稿で「チロリン村とくるみの木」と「ひょっこりひょうたん島」について少し書きましたが

スカンクのガスパ役の八波むと志、ドン・ガバチョ役の藤村有広のことをもう少し・・・

 

八波むと志は大人気だった脱線トリオのメンバー

カックン!の由利徹、ハヤシもあるでよ~の南利明と組み、昭和30年代前半は毎日のようにテレビに出ていて、後発の三波伸介らは脱線の次だから転覆だと言って「てんぷくトリオ」を伊東四朗、戸塚睦夫と組んだくらい!

 

脱線トリオはもともと芸人ではなく渥美清らと同じようにショーの合い間に出ていた売れない俳優で、トリオ組んで日テレ「お昼の演芸」に出始めてから名前も決めたそうで、それぞれ所属事務所も違っていた。

 

5年ほどでトリオは解散、その後八波むと志は日大芸術学部演劇科に編入そして昭和38年には明治座で「江分利満氏の優雅な生活」に主演、「マイフェアレディ」では江利チエミのイライザの父親役で「運が良けりゃ音譜」を歌うなどミュージカルにも出演してたが「チロリン村・・・」出演中の39年1月運転中の車が都電の安全地帯に激突し死亡。

37歳、惜しかったなぁ

売れ始た頃、私の伯父パン屋さんのそばに住んでたし、叔父のいきつけ飲み屋の常連だったというし、小さな縁があって脱線トリオで一番好きだったんだよなぁ~

 

あ、ご存じでしょうが八波むと志は8×8(ハッパ)=64(6と4)から名付けました。

彼のマネージャーが後にコント55号のマネジメントをした浅井企画の社長さん。だから後に息子の八波一起をサポートしたんでしょうね。

 

 

もう一人「ドン・ガバチョ」の藤村有弘

この人、テレビ創成期に活躍した千葉信男の弟子で昭和32年頃から映画テレビで活躍、日活では赤木圭一郎「拳銃無頼帖 抜き射ちの竜」にも出てるんだから古い!

 

ドン・ガバチョが演説の際の咳払い「ブフブハ」、笑うときの「ハタハッハ」の名セリフは台本の誤字をそのまんま読んだらウケたので続けたとか!

この写真はNHKの番組で中国ロシアフランスイタリアの各首相からの電報を読み上げるインチキ外国語のシーン!

「ドルチェメンテ コチャメンテ トルナラ トッテミーヨ!」を久々に聞きました爆笑

 

その後「今夜は最高」でタモリとインチキ言葉対談、北京語からだんだん南へ行って広東語に変わるのを二人で長々と演じ、浜美枝が笑い転げていました!

またハム無線を本格的にやっていて世界と繋がって話をしていたそうだから彼のインチキ外国語の発音は確か。

抜群にうまくて大好きでした!

 

名前の前にBANSAと書いてあり、サインもBansaになっているがこの「バンサ」が彼の愛称!

 

昔、金曜11PMの生放送中、同じ昭和九年会の大橋巨泉が朝丘雪路と「バンサこっちこいよ!こいよ!」と見に来てたバンサを引っ張り出し、彼が恥ずかしそうに下向いたまま・・・

この人、喜劇役者だけど普段はこんな感じなんだなと好感を持ちました。

 

活躍中の1982年ラジオの生放送終えて緊急入院。6日後持病の糖尿病による昏睡のため死亡、まだ48歳でした。

もったいなかったなぁ・・・

 

葬儀で友人代表の大橋巨泉は「バンサは彼がゲイである事を隠さなかった。しかし日本にはまだ同性愛者に対する強い偏見がある。だからボクは今夜、藤村有弘を立派な同性愛者として送ってやりたい」と述べたそうです。

 

この問題、未だに「官邸内はみんな反対です」なんて首相補佐官が言ってるようじゃ、日本はLGBTについては世界から取り残されたままなのかもしれませんね。

 

※写真はウィキペディア・nhk-ep.comより