先日、「祝・再開/地頭論」というタイトルの記事を上げたところ、3日間で600以上のいいねと30以上のコメントをいただきました。ありがとうございます爆笑

 

読者の皆さんは、日々、我が子の子育てや教育に熱心に取り組んでおられることと思いますが、

 

そんな皆さんが興味があるのは、専門家による勉強法や子育て論などではなく、このワケのわからんオッサン会社員が寝る前のわずかな時間を使って書いた「地頭論」であるということが明らかになりました(笑)笑い泣き

 

 

皆さんは、中学受験において最も影響を及ぼす要因は、何だと思いますか?

 

地頭、努力、環境、経済力・・

 

いろいろな言葉が浮かぶと思います。

 

 

この質問に対して、最難関校の出身者、あるいは合格された子の親御さんはよく次のようにおっしゃいます。

 

●たしかに圧倒的な才能を持った子は存在する

●でもそんな子はごく一部である

●合格者の多くは努力に努力を重ねて階段を上がってきた子たちである

 

おっしゃっていることも分からなくはないです。

しかし、上記の発言は、N65~70地頭帯の人間が、N65より上方向だけを見て、あたかもそれが全体であるかのように述べたものにすぎません

 

私は、受験、こと中学受験においては、地頭は支配的要因になると考えています。

 

もちろん、さすがに当日の合否まで予測することはできません。直前のメンタル、当日の体調、問題との相性、運…。様々なものの掛け合わせによって、合否は分かれます。

 

しかし、どの付近の学校を狙えるかという「活動偏差値」はほぼ地頭によって決まると考えています。

 

なぜそうなるのかについては、複数の要因があります。

この地頭論では「外形的要因」と「内在的要因」に分けて、今日はそのうちの「外形的要因」について述べることにします。

 

以前私は「地頭格差対数認識論」という記事をあげたことがあります。

 

 

 

グラフの横軸に地頭ランク、縦軸に能力値をとった場合、その縦軸は「対数」で規定しなければ、地頭ランクの違いを正しく表現できないというものです。

 

これは地頭論の根幹となるものですので再掲します。

 

<地頭格差対数認識論>

 【地頭帯】【能力値】

 Sランク 1000000

 Aランク 100000

 Bランク 10000

 Cランク 1000

 Dランク 100

 Eランク 10

 Fランク 1

 

これを見て、「なわけねーだろ(怒)!!」と思った人は、次を見てください。

 ↓

 ↓

 ↓

 ↓

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【N換算】【数学種別】【ムズさ】

 N70 東大数学  10の6乗

 N65 京大数学  10の5乗

 N58 北大数学  10の4乗

 N50 地方国立  10の3乗

 N45 センター   10の2乗

 N40 教科書   10の1乗

 N30 数学放棄  10の0乗

 

だいたい感覚的に合っていませんか?(笑)

 

それぞれの数学種別で6割得点をとる難しさは、桁が1つ上がる感じです。

そして、上記のどこで止まるかは、完全に個人の素質に依存します。

 

読者の皆さんの中にも、高校数学の教科書レベルでさえ頭に入ってこなかったという人は、少なからずいると思います。

何も恥ずかしいことではありません。国民全体の中でみればむしろそれが普通なのです。

 

ところが、中学受験というのは、上記でいう「10の3乗」くらいの人を中央値と想定しています。

 

【数学種別】 【ムズさ】

 N70東大数学  10^6

 N65京大数学  10^5

 N58北大数学  10^4

 N50地方国立  10^3←国立合格者(★ここ)

 N45センター   10^2 ←国立志望者平均

 N40教科書   10^1←国民平均

 N30数学放棄  10^0

 

塾の母集団別に説明すると、

サピックス(中央値N58)

 ⇒10^4レベル(北大数学)

日能研(中央値N50)

 ⇒10^3レベル(地方国立数学)

首都圏模試(中央値N42)

 ⇒10^2レベル(センター数学)

となるでしょうか。

 

そして、中学受験は、その「10の3乗レベル」、国民平均から見るとかなりレベルの高い層に見合ったカリキュラムで学習を進め、全員(10の0乗~10の6乗)を同じ土俵に入れて同じ尺度で評価するという取り組みです

 

ここに中学受験の残酷さがあります。

 

大学受験において、東大を目指す人と、関関同立を目指す人は、基本的に同じ模試を受けることはありません。

 

しかし、中学受験においては、全員が「公開テスト」という同じ土俵に並べられて、同じ尺度で能力を測定されてしまいます

 

今、東大との対比で関関同立を例に出しましたが、国民平均から見れば十分賢い集団ですからね。

 

つまり、大学受験においては母集団が相当程度細分化されて、学習カリキュラムにおいても模擬試験においても「直接対決」は回避されるのに対し

 

中学受験は、能力にとてつもない差があるにもかかわらず、本来同じ土俵で比べてはいけない人たちを月に1回全員を横一列に並べて、同じ問題で「直接対決」させるのです

 

そんなことをすれば、ほぼ完全に地頭どおりの分布になるに決まっています

 

 

「対数」で認識しなければならないほど能力格差のある人間を「万人の万人に対する闘争」状態で競わせたとき、

恐ろしい姿を現す「地頭リヴァイアサン」

 

それは文字どおり怪物の如く、地頭に恵まれなかった子供たちとその親達のメンタルに襲いかかります。

 

以上が、中学受験がほぼ地頭だけで決まってしまうことの「外形的説明」です。

でもこれだけでは「なぜ地頭どおりになるのか」に対する本質的説明はできていません。

次回、「内在的要因」について述べさせていただきます。お楽しみに~ウインク