NHK 「日本人は何を目指してきたのか6 :障害者福祉 共に暮らせる社会を求めて」 

YouTubeで上記の題名を入力すると視聴できる。

ここでは 正しい歴史を知ることの大切さをお伝えしたい。

多くの方に見ていただきいたい。


見ていただいた方は分かるように

障害者への対応が 


家の中で隠す 隔離する(座敷ろう)

→ 医療型コロニーへの入所
(地域から離れる、自由がない、外出制限、時間制限の生活の問題) 


→ 社会制度をつかって一人暮らしや夫婦(障害者同士)での自立生活
  (障害当事者主体の生活)


に移っていったのは、本来、障害者も健常者と「等しく持っている権利」
の復権の内容だ。


例えばリハビリテーションという言葉は等しく人間らしい生活をおくる
「権利の復権」ということが本来の意味であり体の機能回復だけを言わない。

私達家族の友人は体は不自由だが電動車いすで我が家を訪れ酒を飲み、一人で九州へ旅行し、社会への働きかけをするタフな彼だ。しかし、幼い頃から養護学校の隣の寮で外出や生活時間などがあまり自由のない生活だったことを話してくれた。

そんな、健常者から離れた自由のない社会を変えるべく、彼も社会に働きかけつづける。


これと関連して ここ10年ぐらいの間、就学の考え方も 様々な障害児が

  訪問学級や特別支援学校 

→ 地域の支援学級 

→ 普通学級 へ


という同じような流れが日本でも少しづつだが制度や捉え方(インクルージョン、社会モデル)に変わってきている。
これももともと等しくもっている「権利の復権」といえる。


(今の現状では行きたい学校へ等しく選ぶ権利があり、どの学級に在籍しようとも等しく合理的配慮が受けられ、支援の差ができてはならないことを伝えたい。
そして私たちは特別支援教育に携わる、熱意ある知識と技術を持ったすばらしい先生方も沢山いらっしゃることも知っている。そんな先生方の領域も分け隔てなく地域で活かされるべきだと思う。)


【障害は、その人の固有の身体的、精神的などの機能が何らかの原因で損障していることだけでなく、社会との関係で重くもなり、軽くもなり、あるいは障害と意識する必要さえなくなることもあるのです。

障害のある人の社会での困難は障害を理由として発生しているのではなく、社会のありようによって発生しているのです。】

と 「社会モデル」のことを大谷恭子 弁護士 は説明されている。

しかし、このことに気づかれはじめたのはもうずいぶん前の1970年代のこと。
日本はそのような国際社会の流れの中で 1979年に 養護学校義務化 が行われ

前述にあるように、医療型コロニーとも話が関連するが 地域とのつながりを断ち切るような政策がとられたことが共通の問題点だと今更ながら気付かされる。

地域から離れた生活では、障害者の問題は益々健常者には知られない届かない。

地域や学校での個別の支援計画も 
◎ インクルージョン(受容、包摂)、
◎ 社会モデル(障害の根本は社会のありよう)
◎ 合理的配慮(健常者と同じスタートラインに立つための障害当事者目線の支援、特別な支援ではない)
の理念が生かされたものでなければならないと思う。


4月から 「障害者差別解消法」が 施行される。 

障害者やその家族のためのだけの法律ではなく
健常者側の意識の変革が求められている。
写真は 広報なごや の 障害者差別解消法 解説
中面の対談が 印象的でわかりやすい クリックすると拡大できます。

「体温が伝わり合うような関係性をどうつくるか」
「人としての温かさが大事」
「マニュアルで対応するのではなく心が伝わるような関係性」


私達家族も 社会の壁や心の壁を感じた時そんな対応を切に望んでいる。


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電動車椅子に乗る友人の働きかけにより、市バスの乗り降りの対応評価で、モニターとして京ちゃん、参加しました。
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思いがけない、交通費をいただいて、渋い ニット帽を選んで買いました。
京ちゃんもちょうど 10歳。
元気に楽しく普通学級で生活してます。

明日は学校で「とくぎじまん大会」
 
全校児童の前で 「とくぎ」を披露します。