秘やかな感動・バタイユ『安南』 | 世は不可解なりⅡ

世は不可解なりⅡ

おかしなことばかりの世の中での独り言

クリストフ バタイユ, Christophe Bataille, 辻 邦生
安南―愛の王国 』 集英社、1995年。

何年かぶりで手に取った。1時間程度で一気に読める。

この話しは、遠い世界の幻想である。
16世紀にベトナムに行った宣教師の話しである。

まず、この話の引き込まれるのは何故だろうと考えると、
その文体の特異さにある。
この小説に、だらだらとした長ったらしい風景描写や、
感情の記述はない。
常に短い言い切りである。
これは、訳者の辻邦生、堀内ゆかり氏の力かとも思ったが、
原作自体が、短く言い切りの文体であるとのことだ。

以前読了後、直ぐ第二作「アブサン」を手にしたが、何故か
その世界に入っていけず、途中放棄したことを覚えている。

では、第二作と分けるこの作品の魅力を考えると、
そのエキゾチズムだ。
未知の、しかし、何ものかを秘めた憧れの国。
更に、時間的な設定(ルイ16世の時世)も関わっているかも
知れない。
ハッキリ言って、この時期のインドシナの歴史に関して
私は全くの無知である。
最近目にするベトナムやインドシナ風景を、私の中で勝手に
結びつけ、そこへ250年前という調味料を加えた不思議な
世界が、私の頭の中で構築される。
これが、映画にない小説の醍醐味ではある。

主人公達がベトナムでの布教活動をする間、本国のフランス
では大革命が起きる。
その関連はどうなるのか、
様々な条件を設定しておきながら、ここでは何も起きず、
ただ淡々と時間が流れている。

ある種、時が止まっているような気さえする。
勿論、疫病による死、虐殺など、登場人物達の身にも大変化が
起きている。
別の土地に移った主人公も、日々の辛い労働が待っている。

その意味で、小説の中での時間は止まってない、

しかし、この小説で感じるのは静謐さである。

私にとっての幻想の世界の故であろうか。
登場人物達の、抑制された感情表現もあずかっているだろう。

何億年と続いてきた人類の営みそのものを見ている趣がする。
神話的世界と言い換えても良いかも知れない。
人が死んだ後に残るものは何か、そんなことさえ考えさせられる。

最後に、キリスト教的戒律を破ったことになるのか否か。
しかし、見えるものは、罪悪や不潔感とは全くの無縁のものだ。
ただただ美しい。
それだけ。