世は不可解なりⅡ

世は不可解なりⅡ

おかしなことばかりの世の中での独り言

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カヤマユウゾウと言っても、俳優ではない。
正しい漢字は、「可山優三」 の方だった。


つまり、大学生の成績のことで、
  「可」 が 山のようにあって、
 「優」 は たったの三つだけ
の意味だ。
使い方は、「オレなんか、カヤマユウゾウだよ.....」 等と。


もっとも、今では、大学の成績表示が、「優良可不可」 から、
「ABCD」 に表示変更されて、今の大学生に死語のようだ。
15年前でも、現役大学生には通じなかった。

「サイバー・ショット T50」の電車の広告を見て首を傾げた。
ソニーのデジタル・カメラの宣伝だ。


そこには、
 ● like.no.other
とあった。
英語に関して、トンチンカンな私が訳すと、
 ● 他の誰も好きではない。
命令形と考えると、
 ● 他の誰も好きになるな。好きになってはいけない。
となってしまう。


訳し方も、広告の意味もハッキリ言って分からない。
何を言いたいのか。
私の見間違いではないかと、何度も目をこすったつもりだ。
私の誤読だとしても、この手の広告で「伝達していない」と
の意味で問題があろう。
尤も、私程度の者を相手にせずというのならば、しょうがない。


その意味するところをだれか、教えて欲しい。



[ 12月25日 0:05追記 ]

「世界遺産」を見ていたら、テレビでも、
” like.no.other ”を流していた。
渋々辞書を引いてみた。

動詞じゃなくて、前置詞のlikeなのか。
「誰とも同じじゃない」 というつもりらしいが、どうも、

「他の誰も愛してはいけない」と言っているようで......。


ちなみに、テレビの「VAIOの宣伝」は、
夜家に帰った亭主が、妻子は寝ていて、亭主は台所で
VAIOで家族の映像を見るという内容。
直ぐ側にいながら、触れあいをせずに、映像を見ている
という異常さ。
おかしいと、何も感じないのだろうか。

前の書き込みでフト思い出した。
( 「 楽しい懐かしい日本語 」 としての書き込みです)


今を去るウン十年前、東京は新宿、紀伊国屋書店ビルへ
行った時のこと。
( そういえば、「 ご本といえば紀伊国屋 」 というコピーを
思い出した。懐かしい。 )


そのビルの地下商店街の靴屋さんの前を通り過ぎた私。
2,3歩足を進めてから、足が止まった。
見るとはなく目に入った宣伝文句に、「?!」。
思わず足が止まったのだ。


逆戻りして、その手書きの宣伝を凝視した。


● くつしも、あります。


何秒間か考えて、
「 靴紐、あります 」 の意味と理解した。


私は、心の中で叫んだ。
「 親父さん、江戸っ子ダネエ 」 と。

人に話して通じない言葉がある。


私は、子供の頃、ワ行の 「 を 」 を

 ● 「 下のオ 」

と教わった記憶があり、私の中ではずっとそうだ。
ちなみに、あまり言いはしないが、それに対して、
ア行の 「 お 」 は 「 上のオ 」 と言い分けた。


ところが、人と話をしても誰も知らないと言う。

私一人だけの言葉なのか。
まさか.....夢を見ていたのか。


さて、これに、ちょっと比べたい例がある。
方言がもっと強かった時代のことだ。
もっとも、テレビによって脳の中が支配されている現代
では死語かもしれないが。

それは、発音上、スとシの音の区別の弱かった東北地方で、
「 し 」 と 「 す 」 を、それぞれ 「 長し 」 「 結びし 」 と
呼び分けていたという話しである。
子供の作文も、「 私のお父さんはお百姓さんでし 」 と
書いていた、というから、なにやら楽しい。
「 す 」 を結んだ形の 「 し 」 だなんて、なかなか味がある。


思えば、今年は雪深い暮れだ。
そちらの地方では、今も 「 長し 」 「 結びし 」 と言う言葉
が生きているのかな。


話しを戻して、「 上のオ 」 「 下のオ 」 は私のごく地域的な
( 極私的な? ) 用法だったのか、短い一時的な用法だった
のか、私の夢?だったのか、気になる。


御存知の方々の連絡をお待ちする。


雑誌 「歴史読本」 を眺めていたら、面白いものを目にした。
「第12回歴史文学賞決定発表」 である。( 「歴史読本」 昭和

63年2月号 )

この時、歴史文学賞は該当作無しで、佳作が2編だ。
それは、小西健之助 『日本密偵始め』 と宮部みゆき 『かまい
たち』 である。
この時の選考委員の宮部評が興味深い。

概して、「達者ですらすら読めるが、マンネリ、型どおり」
といった評である。
ただ、その中で、早乙女貢が、
  作者は若いようだが、文学への志がないまま、こういう
  捕物小説で満足していては、将来に期待が持てない。 
  人生の苦悩を知らない者には読者を感動させる作品は
  書けない。
と、「文学への志がない」 人、「人生の苦悩を知らない者」、
「将来に期待が持てない」 人と、鉄槌を下しているのだ。

それにしても、「文学への志」 という言葉が凄い。
この言葉は、最後の最後に出すべき言葉ではないか。
なぜなら、文学への志がない者こそ、文学をやる資格がない
からだ。
ヤメロ!と言っている気がするが、私の深読みだろうか。

以上で、標題でいうところの 「酷評」 の引用は終わり。
 ここからは、私の宮部への感想。
私が宮部で唯一読んだことがあるのが、
  『震える岩』

震える岩―霊験お初捕物控


この主人公は、超能力者の霊験お初だ。

 私に言わせると、これが、全くもってとんでも無い。
 何故なら、推理ものでの超能力者の登場は、約束違反だ。
この設定ならば、最初から超能力で犯人を見つければよい
わけだ(事件発生後、解決は1頁で終わりだ)。
場合によったら、超能力で事件も防げばいい。
小説内容はすっかり忘れたが、著しく読書意欲を削がれる
設定であった。

ところで、この宮部には熱烈なファンが多いと見えて、
ファンによるサイトがあり便利だ。
おそらく、宮部は、早乙女貢の評を受け止め精進を重ね
今の人気作家の地位を築いたのであろう。
偉い方なのでしょう、きっと。
そのファンサイトを覗いて、参考にすると、

・蒲生邸事件
  大学を目指す主人公が、昭和の戦前 (2・26事件の頃) に
 タイムワープして。。。。。。
・クロス・ファイア
  青木淳子という念力放火能力を持つ超能力者が。。。。。。。。

宮部の作品は、私には、こんな設定ばかり目に付いてしまう。
これがこの作者なりの 「マンネリ打破」 なのか。
そして、この荒唐無稽さがファンに受けるのか。
ちょっと私には分からない。
あまりにリアリティが無くて、私は、この人にはどうも
馴染めなさそうだ。

安易に使い過ぎる言葉


 ●壮大なスケールで描く


TVドラマも、映画も、アニメも、..........
歴史物もファンタジーも、SFも..........
と、媒体から言っても内容から言っても
この世は、皆、壮大なスケールで描かれた
作品ばかりだ。
一体どこが?


こういう言葉は相手に感じさせるべきもので
自ら宣言するのはおこがましい。

私が、中学生の時の話し。


大正時代の民主化運動或いは思潮が、「大正デモクラシー」。


そして、東京帝国大学で学派を形成し、そこで唱えられた
深遠なる思想、それが、
 「東大モトクラシー」
だとばかり思いこんでいた。


何て事はない、
 「灯台下暗し」。

森鴎外 「安井夫人」 を読む。
『護持院ヶ原の仇討ち』 昭和13年5刷、岩波文庫。

小品ながら、とても気持ちの良い作品である。


生きるということを深く考えさせられ、励まされた。
須く小説作品はこうあるべし、とつぶやきたくなった。


クライマックスは、後の安井夫人こと、佐代が、安井と
の結婚を決める下りであろう。
簡単に言い切ってしまうと、周りから猿と言われたほど、
風采の上がらぬ男が、学問をし、父が嫁取りを考えるに、
嫁に来ては無いと判断する。
親戚の姉妹の、地元で 「小町」 と呼ばれる妹娘は器量よしで
歳も離れ無理であろう、器量は十人並ながら快活な姉娘を
と父が望む。
間に立った、これも親戚の使者が行くと、姉はその場で
お断り。
なぜか、奥ゆかしい妹が 「私を」 と自ら言い出すという
面白さ。
そしてこれが上手く行くのである。万々歳。


さて、鴎外が、ご婦人を、或いは、嫁を取るということを
どう見ているか、楽しい記述がある。


  若くて美しいと思われた人も、暫く交際していて、
 知識の足らぬのが暴露して見ると、その美貌はいつか
 忘れられてしまう。又三十になり、四十になると、智恵
 の不足が顔にあらわれて、昔美しかった人とは思われぬ
ようになる。これとはまた反対に、顔貌にはきずがあって
 も、才人だと、交際しているうちにその醜さが忘れられる。
 又年を取るに従って、才気が眉目をさえ美しくする。


これはある意味、全くのステレオタイプの考えといえる。
しかし、まさに真実なのだろう。(人生経験の乏しい私、
まだまだ、この境地には達せられぬ。)


これを文豪の筆を使うとこういう記述になるのか、という
興味が先ず一つ。

次に、鴎外自身、あまり学問があるとは言えない可愛い
お嫁さんを貰ったと言われていると記憶している。
では、彼の現実はどうだったのか、調査要、と二つ目の
興味が湧いた。


話しとしては、妹は美人なのだが、ちゃんと智恵もあると
言うことで、二物を与えたのだ。
やっぱり小説だ。
とはいいながら、実話の歴史小説なのである。
どちらもない私など、その点、不満タラタラだ。
その不公平さに天に苦情を言っても罰は当たるまい。


一方、小説中には、
漁師から徒士になった最下級武士が、


  「 先生、只今のはご新造様でありますか 」
 「 さよう。妻で。 」
 「 はあ、御新造様は学問をなさりましたか 」
 「 いいや、学問というほどの事はしておらぬ 」
 「 して見ますと、御新造様の方が先生の学問以上の御見識
  でございますな 」
 「 なぜ 」
 「 でもあれ程の美人でお出でになって、先生の夫人におなり
  なされた所を見ますと 」

という、落とし話のような会話も挟まれている。
小説技法としても上手くできている。


そして、次に女性の凄さに、またもビックリ且つ微笑む。 


   婚礼は.......未だ桃の花の散らぬうちに済んだ。そしてこれ
  まで只美しいとばかり云われて、人形同様に思われていた
 お佐代さんは、繭を破って出た蛾のように、その控え目な
  内気な態度を脱却して、大勢の若い書生達の出入りする家
  で、天晴れ地歩を占めた夫人になりおほせたのである。



凄いです。女の強さ、
蛾ですよ、蛾。
蝶じゃないのです。
楽しい小説です。


さて、ちょっと真面目に戻って、
最後は、多くの係累の死に直面する。
小説の中では全くの事実の記述のみだ。
彼女の嘆きは一切、記述されない。
むしろ、そのことがより大きな嘆きを感じさせて、読み手
の私は悲嘆に暮れる。
じっと悲しみを噛みしめ堪えていたであろう。


楽しみ、且つ考え、励まされた作品であった。



なお、私の読んだ岩波文庫は、絶版の模様だ。

下記の本が、現在入手できるという。

森 鴎外
鴎外歴史文学集 (第3巻)

横井清『東山文化』平凡社(平凡社ライブラリー78)、1994年。
を読了。

横井 清
東山文化―その背景と基層

本としては、教科書的な俯瞰の書である。
巻末に、参考文献を挙げ、本文中にも参考文献ナンバーを付けた
丁寧な本である。
その意味では、東山時代のある種の雰囲気を感じ取るにはよいかも
知れない。スラスラと読み下せる本でもある。
しかし逆に、この本の中でこの著者のオリジナル或いは、新たな
知見は何かな(何もないのかな)と、つい下司の勘ぐりをしたくなる。
そして、ナニヤラ、竹下登のような、村会議長の器、単に調整役的
な学者なのかしらと想像してしまう。(但し、もしかして偉い学者
なのかも知れない、あくまでもこの本に関しては、だ)。

さらに、記述内容が誤りの(古い?)部分も見受けられる。
例えば、能について書かれたp176~177なども、宝生のふりがな
を始めとし、今では首を傾げる部分である。もっとも、筆者が参考と
したという本が1968年(40年近く前ダ)のものなのだから、ここ
からの引用では、当時の説であることはしょうがないのかも知れない。


さて、この書き込みの本題はここからである。

この本の解説を田中貴子氏が書いているのだが、まさに私が引っか
かった同じ箇所を挙げ、私が感じたことを指摘していたのである。
田中氏と重複するわけであるが、一言述べたい。

それは、戦後、歴史の学会に吹き荒れた一つの思潮についてである。
簡単に言ってしまうと、
  この著者の立場は、「為政者・支配者の側の歴史ではなく、民衆
 の歴史、人民の歴史、という視点で歴史を捕らえ直そう。」であり、
 「真の文化創造者は、人民である。」
とする考えである。
いうなれば、民主主義のいう名の元に吹かれた進軍ラッパだ。

そして私が感じたのが、この考え方に対する違和感である。
明らかに、この本は、その考えの基に記述されていると多々感じる。
それ故、内容的にも、無理があると感じる部分も見出せる。
歴史記述とは、筆者の歴史観の広報活動以上のものになれないのか。
今更ながら、歴史記述の難しさを覚える。
(この意味では、冒頭に述べた、「教科書的な俯瞰の書」 ならぬ、
「ある思想に基づく書」 と言うべきかも知れない)。

一言で片付ければ、この人の考えは、私とは異なる。
こんな見方もあるという本として、扱うべきだ。

当時は、このような一つの夢のような考え方に皆が酔っていた
幸せな時代だったのだ。
それは、幻想であった。
その負債を今払わされているという言い方も出来るだろう。

ところで、田中貴子氏、最後の一言が頂けない。
特別の意味を含ませているのか。
曰く、「氏のしたたかさに、私はひそかに感動を禁じ得なかった」。
これには、私は微笑みを禁じ得なかった。

最近よく聞くようになり、且つ、目にするものに


 ●褒められて伸びるタイプ


がある。

そして、自ら、「私は、褒められて伸びるタイプです。」 と
称する者がいることに驚いた。
実際、ブログのプロフィール欄に書いている者もいるのだ。

これは、、現代若人 (老人も?) の生態の反映たる言葉だ。
その生態とは、叱られ馴れておらず、小さなことでクヨクヨし、
場合によっては、怒り狂う (いわゆる 「キレル」、或いは、
いわゆる 「逆ギレ」 )。
そして、褒めれば、増長する。

「褒められて伸びるタイプ」 かどうかは、人から判断して
貰うものであり、自分から言う言葉ではない。
そして、現実に、そんなことを言っている人間にかぎって、
どうにも褒めるところを捜すのに苦労するものだ。

ここには、受身の自己中心世界しかない。
こういう言葉を発している限り、子供の状態に留まっている。
この言葉を自分に対して発言する人は、主体・客体の

認識能力に欠けるのではないか。
 ( 逆にこのことが、現代人の生態なのだろうか )。
おそらく、他人の長所を褒めるという発想は、この人には

存在しないだろう。

一方的に、人から褒めて貰おうとは、何事ゾ。
一体、人から評価されるようなことを成し遂げたのか。
この、甘ったれた根性を、少しでも早く捨て去れ!
顔を洗って出直せ!