三井住友銀行、国内外で使い分け | 世は不可解なりⅡ

世は不可解なりⅡ

おかしなことばかりの世の中での独り言

・国内名は、三井住友銀行。
・外国名は、SMBC(Sumitomo-Mitui-Bank-Corporation)。
何故、国内と国外で、顔を使い分けるのか。
今年、上記二つが同一ということに気が付いた。
この銀行なんかやましいことでもあるのか。


 どういう沿革なのかを見ると、まず三井財閥の銀行だ。
昭和18年三井銀行は、第一銀行と合併し「帝国銀行」と
なった。世に帝銀事件で知られるあの帝銀である。
しかし、昭和23年には、合併して一つの組織となった
はずなのに、第一銀行を分離している。
昭和29年には、行名を帝国銀行から三井銀行に戻して
いる。現在の大銀行の合併・拡張主義の中で分離の例は
極めて異例だ。一体何があったのだろうか。


 ちなみに、太陽神戸銀行に勤めていた方の証言では、
太陽神戸という一銀行ながら、支店が太陽系・神戸系と
分かれていて、実質別会社だったとのことだ。
 この太陽神戸銀行が三井と合併して、今はなき「
さくら銀行」になったのだから、今も........といろいろと
想像してしまう。


 また、その後、第一銀行は、勧業銀行、富士銀行と合併
し今に至るのは御存知のとおりだ。
 一方、三井銀行は、じり貧は進み、三井財閥のお荷物と
まで言われた。
 ただ、三井と第一銀行の合併に際し、こんな笑い話もある。
当時、三菱銀行は第百銀行と合併したが、三菱行員の間では、
「ライバル三井は第一銀行と合併しているのに、ウチは
第百銀行と、かよ」と、99の差を自嘲していたという。
しかし、吸収合併した三菱の方が良い選択だったわけだ。


 さて、三井銀行と住友銀行の合併に際し、世間では、
「住友銀行による三井銀行の吸収合併」と目されていた(
吸収は不適切かも知れない、住友の高比率で合併、と)。
しかし、住友の頭取が「対等合併である」と宣言し、三井
行員は涙を流して喜んだと当時報道されてた(ホンマかいナ)。
もし、旧三井銀行の社員を持ち上げるために国内向け
銀行名を決めたのならば、「客へ向いているのではなく、
社内を向いた経営者・会社」ということである。
さぞ、社員にとって良い会社なのだろうなあ。
昔「住友銀行残酷物語」なんて話も聞いたが、今はさぞ
居心地良い会社なのでしょう。
行員の皆さん、ご同慶の至りです。
危なくなっても、国は税金(公的資金)で、高収入を保証
してくれるし。
よくぞ、銀行員になりにけりだ。

私はこの銀行を使わないだろう。