気付けば、7月に入っておりましたよね


実のところ、今は何月とかいう現実が、あまりリアルじゃなかったりするんですよね






えっと、前記事とのギャップが大きすぎて申し訳ないです


情緒はもともとおかしいので、お気になさらず


前記事まででお分かりのとおり、体調はさておき元気です






少し前に、父の納骨が済みました


5月に父が亡くなりまして


今年に入ってから色々とあれこれあって


なんか、父がいなくなってしまいました




何年も母が自宅で父の介護をしてくれていて、その間もあれこれあったし、この春からさらにあれこれあった訳ですが


まあ、一つの記事になんて書けやしないのは、分かっていただけるかと思います




父は早朝に亡くなったもので、その日は朝からずっと色々やったり決めたり、一日が終わる頃には少なくとももう3日くらいは経ったみたいに長くて濃い日でした




葬儀の日までは、早かったのか長かったのか?いや、やっぱりものすごく長く感じたな


亡くなって3日目に火葬となったのですが、その間に何をやったのか分からなくなりそうだなって、カレンダーアプリにやることやったことをメモしてました


だって初めてのことが目白押しなのに、どんどんどんどん流れていくんだもん、あれこれ全部忘れちゃう




これまでに祖父母の葬儀にも出ていたのですが、なんかやっぱり家族の中でも父親ってちょっと自分の中でまた全然違う存在だったんだなって、あらためて感じましたよね


そして身体って、身体が無くなるってインパクト強いですね


火葬の日の朝、最後に実家で父の顔を見て身体に触れた時に、形ある身体がそこにあってくれることって大きいんだなって思いました


あー、このいつも実家に帰ってくれば会えたこの身体が、ここから無くなるんだって意識したというか


生きているものにとって、身体は単なる入れ物じゃなくて、よすがになり得るんだなぁと




葬儀が終わって、食事に行って、自宅に帰った頃にはもう1週間くらい経過したような感覚でした


実際には3日ほどなのに




忌引休暇は5日間あったので、フルで取得しました


その間にとにかくできる手続きやらなんやらを、母とガンガン進めまくりました


毎日、今日はこれとこれとこれ、明日はあれとあれとあれ


やらなきゃいけないことは色々あるけれど、みんな初めてのことで知らないことばかりで、とにかく先ずは「何をしなくちゃいけないのか?」から始めなければいけません


忌引休暇が終わる頃、実際には父が亡くなって1週間ちょっとしか経っていないのに、もう3週間くらいは経過しているような感じがしました


とにかく色々詰め込みまくって、ぎゅうぎゅうに濃い日々だったからでしょうか


休暇という名がついていましたが、知らないことを調べて実行して終わらせていくのはなかなか大変で、仕事をしているよりも疲れました




忌引休暇後もやることはまだ沢山あります


できることから、母がやったり、私がやったり、ちょうど春から遠方に引っ越した兄がこちらに戻ってきてやったり、色々手伝ったり


とにかく少しづつ片付けていく




もう父がなくなって半年くらい経ったんじゃなかろうか


そう思った時に月命日がやってきました


そして、納骨の日も


身体だけじゃなくて、骨まで実家からいなくなってしまいました




私も、そして多分兄も、父が亡くなって一番心配なことは母が実家に一人になることでした


何が心配かと言うと、何もかもです




母は自分でも言っていたのです、父が亡くなる前から


空の巣症候群じゃないけど、お父さんがいなくなったらガクッときちゃいそうだから、そうならないように今から覚悟してるんだって


自分に言い聞かせるように、私に話していました


子供じゃなくてパートナーだけど、父は母がいないとダメでしたからね、最期はホントに文字どおり母がそばにいないとダメだったし


あー、母のこと、もっと書こうと思っていたことがあるのですが、ちょっと別の話にします


母は元気にしております






こんな時にも「推し」の話?と言われそうですが


父がなくなってから、涙が流せなかったのです


母の前で泣くと連鎖が起きてなんか分からないけど大変なことになりそうだと思ってしまったのと、自宅でも一旦堰を切ってしまうと何か戻れない気がして


いつも喉に、水が満杯のコップがあるような苦しさがあって、満杯の水は表面張力でギリギリこぼれない感じというか


その水をこぼしてはいけないのに、常にコインがある程度の勢いをもってスルン、スルンとコップの中に投入されていって、今にも水がこぼれそうで苦しさと緊張は増すばかりという感覚


コップの水がこぼれると、涙とか嗚咽とかと一緒になんか色々堰き止めてるものが止まらなくなりそうなので、苦しいけれどこぼさないようにこぼさないようにと気を付けていたのです


でも、天保の情報解禁の時に、推しのコメントがコップの中に思い切りよくデッカイ塊を放り込んでくれたので、表面張力が働かなくなり張ってた水がこぼれて、少し苦しさから解放されました


人によって、別に推しじゃなくてもいいと思いますが、家族とかじゃない全然離れた場所からのちょっとしたキッカケを得られることで、何かが楽になることはあるのだと思います


コップの水なんて、こぼしていいんだよーって


私にとってそれが、たまたま目にした推しの思いが書かれた文章だったということ


こういう言い方をしたら推しに対しては甚だ失礼かもしれませんが、ただ真実として……救いはね、その辺に転がってるかもしれないんですよ


苦しかったり緊張していたりする人は、それに気付けたり、出会えたりするといいですね


自分のことは自分で守っていかないと、結局周りのことも守れません




推しの話ついでに……父が亡くなってそんなに経たないうちに、舞台を観に行ったりしたんですよね


今もね、それこそ一昨日にはコンサート行ったりしてるわけです、めちゃ楽しんでます


正直、こんな時に、そんなこと、自分にはできないんじゃないかと思っていたんですけど


とにかく父がなくなってからの時間の感覚はおかしくて、自分の中では物凄く長い時間経っているようなのに実際は全然進んでいない


ホントに、今は父がなくなってから10ヶ月くらいは経っているんじゃないかと思うのですが、まだ2ヶ月も経っていません


そんな感覚だから、結構すぐに舞台観劇にも足が向けられたのかもしれないです


自分にとってのいつもの日常というか、日常の中で非日常を味わいに行くいつものこと、を続けることで普通を保てているのかもしれないです


体調崩したので、ちょっと普通もままならなくなったりしてますが






これだけ長々書いても書きたいことはまだまだあるので、全然途中ですが書き切れないので終わります


あ、この記事のコメント欄は念のためですが閉じておきます


こういう話って、聞いても「なんと言っていいのかわからない」じゃないですか、でも優しい方が多いのでお声掛けしてくださったりすることがあるので


ここはブログですので、このことを書いておきたかっただけなんだなーとご理解ください


ブログですけれど、基本コミュ障の一方通行ブログなので笑


ちなみにこのブログ内容に関するメッセージ等もご辞退させていただきますね


この記事のようなことがあったんだって事を、読んでくださる方に読んでいただけるだけで、それこそが、めちゃくちゃ有難いです