【京都調べてみた311】宮津散策③ | 京こね☆ニュース

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宮津散策③

 

三連休の初日に、宮津を散策してきました。

 

昨日の続きです。

 

【13時頃】

宮津市街地の散策開始です。

 

 

 

宮津市街地には、レトロな建物・歴史的な建物などが数多くあります。

 

↑ガラシャ像とカトリック宮津教会

 

 

明智光秀の娘・細川ガラシャが結婚後宮津へと移り住んだことが由来で、ガラシャ生誕450年を記念して、平成25年にカトリック宮津教会に隣接する大手川ふれあい広場中央に設置されました。

 

 

波瀾万丈の生涯の中で、自ら信念を貫いたガラシャが「祈り」をテーマに表現されており、「祈り」という言葉は細川家18代当主で元首相である細川護煕氏によって書かれました。

 

 

↑カトリック宮津教会 聖ヨハネ天主堂

 

 

ガラシャ像の後ろにあるカトリック宮津教会は、明治中期に建てられました。

 

日本に現存する2番目に古いカトリック天主堂で、今現在もミサが行われている教会としては一番古い建物です。

 

 

↑勘左衛門小路

 

 

こちらの細長~い露地は、勘左衛門小路といいます。

 

1600年、関ヶ原の合戦の際に、西軍が大軍を率い丹後に攻め込んできました。

 

留守を守っていた細川幽斎の兵はわずかだったため、宮津城を焼き払い、田辺城への籠城を決意しました。

 

その田辺に行く際に、宮津の漁師たちが人や荷物を送り届けたことで、褒美を貰うことに。

 

その中の一人、勘左衛門は自分の家から海までの”道”を貰い、その道が勘左衛門小路と呼ばれるようになったそうです。

 

突き当たりに見えているのは、和貴宮神社。

 

↑和貴宮神社

 

創建時期は不明ですが、江戸時代には宮津城下町の町人の社として栄えていたようです。

 

 

次に、レトロな建物を2つ。

 

↑キセンバ港館

 

 

キセンバ港館は大正時代に建設され、昭和61年まで丹後海陸交通の本社として使用されてきました。

 

以降、改修・整備し、今はカフェやお団子屋さん、写真館などが入っています。

 

 

↑佐藤医院

 

 

こちらも大正時代に建設された建物。

 

病院の設立者が、それまで勤めていた順天堂病院のイメージで建築されたものなんだそうです。

 

 

宮津市街地散策はまだまだ。

 

明日に続きます。

 

 

 

 

 

 

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