女性天皇:明正天皇2 | 京こね☆ニュース

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さて、昨日は後水尾天皇がお怒りのところまでいきました(笑)。

 

でも、怒りはまだまだ収まりません。

 

次の相手は、家光の乳母であった春日局でした。

 

もともと病弱だった家光のために、伊勢神宮へ祈願に行った春日局。

 

その帰りに、『御所に寄ってこ~』 ということで参内することに

 

なります汗

 

しかし、そう簡単に御所に上がれる身分ではありません。

 

そこで、春日局はあらゆる手口で、あれやこれやと縁を結んで

 

『これなら文句ないでしょ』 と言わんばかりに、御所に参内。

 

この世で最も尊いとされていた天皇への謁見を、武家の人間が

 

後からとってつけたような身分でやってくるなんて・・・と、天皇爆発爆弾

 

あれやこれやと積もり積もった不満から、後水尾天皇は幕府に

 

何も告げないまま、さっさと子供に譲位してしまったのでした。

 

しかも、まだ5歳の女の子に。

 

しかし、5歳の女の子にもちろん天皇の責務は務まりませんから、

 

後水尾天皇はちゃっかり院政を敷きます。

 

新しく天皇となった明正天皇は、21歳で義理の弟に譲位するまで、

 

朝廷における実権を握ることはなかったのです。

 

さて、なぜ後水尾天皇は娘に譲位したのかですが、これは徳川

 

将軍家への反撃だと言われています。

 

女性が天皇になる場合、生涯独身を通すというのが慣わしでした。

 

つまり、徳川家の血を引く娘を天皇にしても、それが子孫を残さない

 

以上、徳川家の血が天皇家に入ることはないという考えです。

 

徳川家と血のつながりのある天皇を誕生させることを目的に、

 

和子を入内させた家康。

 

しかし、明正天皇の次の天皇には、和子ではない奥さんの息子を

 

内定し、しかも、院政は「禁中並公家諸法度」の範囲外だったため、

 

統制をされることもなく。

 

これによって、後水尾天皇は将軍家に一泡吹かせたというところ

 

でしょうかびっくり

 

きっと、後水尾天皇と実家との狭間で、板挟みになった和子も

 

気苦労が多かったとは思いますが、それ以上に不憫なのは明正天皇

 

だと思うのですが・・・。

 

明正天皇の詳細はあまりよく分かっていませんが、まさしく、時代に

 

翻弄された女性の一人ともいえるのではないでしょうかはてなマーク

 

 

 

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