円山応挙と亀岡について3日間にわたり書いています。
最終日は、 新たに見つかった応挙の書簡 です。
2005年秋、歴代住職の法衣ダンスの中から、1枚の書簡が
見つかりました。
「圓山主水」と署名されているのですが、この署名は応挙自身と
その息子が使用するものなんだそうです。
中身は、父親の法要の依頼。
これは3月16日に書かれており、応挙の父親が5月に亡くなって
いることから、応挙自身が書いたものと判断するのが妥当だと
考えられています。
あの円山応挙の作品を本当に間近で観賞でき、感動したのですが、
一般公開にはこんなものも。
左から3幅が円山応挙筆です。
なんと、これは金剛寺ではなく、近くの旧家が所蔵しているもの。
公開も今回特別ということで、今後公開される予定はないそうです。
円山応挙筆が、一般家庭所蔵というのはビックリですよね
さて、3日間にわたって応挙と亀岡についてお伝えしてきました。
今回、大変重要なものを観させて頂いて思ったのですが、
なんて亀岡って宣伝が下手なんだろうと・・・
都の横ということもあり、古いものがいっぱい残されているはず
なのに、京都市内のようにそれをPRするのが下手なような気が
するのです。
亀岡 = 保津川下り 湯の花温泉 のみ・・・?
って思われている方も多いはず。
新しいものもいいですが、そういった歴史も観光に役立ててほしい
ものですね。
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