任天堂の元社長・山内溥氏の告別式が、京都市南区の本社で22日
行われました。
今やゲーム会社として、世界的に有名になった任天堂。
しかし、最初は花札やトランプを作成していた会社であったことを
ご存じでしょうか
1889年に花札会社として創業し、その後日本で初めてトランプの製作を
始めました。
さて、今回亡くなられた山内氏は3代目の社長。
2代目の社長であった祖父が病気で倒れたため、22歳という若さで社長に
就任しましたが、その若さゆえに社員から反発が起こり、ストライキや
退職をしていく社員もいました。
しかし、若い社長から出されたアイデアによって、任天堂はその業績を
これまでにないくらい上げたのです
それは、1953年の日本初のプラスチック製トランプの製造。
そして、ディズニーキャラクターをデザインに使ったトランプ。
今や当たり前になった、遊び方の説明書を同封するという考え方。
今までの トランプ=賭け事 から トランプ=家族団らんのおもちゃ として
新しい人たちを取り込んだことにより、任天堂のトランプは爆発的に
売れたのです。
その後は、事務機器や育児関連用具など、多方面に手を広げましたが、
その全てが失敗に終わっています。
転機が訪れたのが、1980年。携帯ゲーム「ゲーム&ウォッチ」の発売により、
今までの借金が完済しても余るほどの大ヒットとなりました。
そして、その3年後には、「ファミリーコンピューター」を発売しています。
山内氏が社長の座にいたのは、実に53年間
その間に、スーパーファミコン、ニンテンドウ64など、
今日のテレビゲーム産業の基盤をつくったと言っても過言ではありません。
花札の会社から、一大テレビゲーム産業へ。
全く異なったエンターテイメントを築き上げた山内氏。
ご冥福をお祈りいたします。