きょうへいです
ほんと
なぜか
ずっと
生きづらかったのです。
なはは、いまだにこういうこと言うのって、「弱いやつ」「イタいやつ」と思われそうでなかなか言いづらい気持ちも出てくるといえば出てくるのですが
なぜか、ずっと、生きづらかった。
どうにか「自分認められてる」と感じたかったり
自分の人生は意義あるものだ、と思いたかったり
自分の存在は大切なものだ、と実感したかったり
して、そのために
何かを取り組み、何かを成し遂げる、ことを常に目標にしてきました。
そして、
何かを成し遂げようとすればするだけ、成し遂げられない自分を感じて
成し遂げられない自分を感じれば感じるだけ、より努力の度合いが増していって
努力が増していけばいくだけ、睡眠時間は減り、食事も減り、足が震えて涙が出るようになっていきました。
で、それでもどうにか「認められてる」と感じたくて
エトセトラエトセトラ
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ずっとぼくにとってはそれが普通で、周りとの競争の中にしか自分の存在は見つけられないものだ、と思っていたんですね。
もしくは、失敗することが「自分は大丈夫」と確認する方法になっていたのです。
失敗すれば、改善の余地があり、何か行動を起こすことができるからね。
ずーっと、それが世界だ、それが社会だ、と自分へ言い続けてきたけれど
つらかったなー。
死ぬまで頑張り続ける生活しか思い描けなかったのだから、当然だと思います。
なんか、周りを見渡すと、
そんな悩みとは一切縁がなさそうで、勉強もめっちゃしてて、頭もキレて、人気者で、「なんであなたはそんなに自分に自信を持てるの」と思ってしまう
そんな人たちが、ずっといました。
そんな人たちが羨ましくて、そうなるようにまた努力を始める。
その根本にある思いは、当然、「今の自分ではダメだから」でした。
もう、なにか努力してればとりあえずオーケー的な。
そんな感じね。笑
こういう生きづらさを感じるのって、
ぼくだけではないだろうなーと思います。
なんで自分はこんなに苦しいんだろう、なんで自分の人生にはこんなに余裕がないんだろう。
なんで思い通りに生きることができないんだろう。
ただ自分の人生、自分が生きるということを、楽しみたいだけなのに。
※ふふ、この文章を書いていて、「イキルをタノシミ、人とツナガル」という言葉が思い浮かんだ
使っていこーっと。
なはは、もうそんな拗ねていても仕方ないって腑に落ちてしまったんだけどねー。
おかげさまで、生きてることがめちゃ楽しいっす。
こう言えるように、こう思えるようになったことが、ぼくにとっては大きな大きな変化なのです。
生きるを楽しむ
そこへ諦めずにチャレンジしたい、そういう人が集まる場を作りたく、心理カウンセラーとして仕事をしています。
ぜひ会いにきてね(^^)
さ、力を抜いてたのしも〜
きょ
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