「何だか不安」から生きるのが「楽しい」毎日へ
埼玉県川越市
本格アーユルヴェーダサロン「yuju✳︎ユジュ」
セラピストのあまがいきょうこです
![](https://stat.ameba.jp/user_images/20200714/14/kyo-cocoro/c2/a0/p/o0060006014788815490.png?caw=800)
大分過去からですが
今年も自己紹介をさせていただきます
1983年生まれ、4人姉弟の長女
生まれも育ちもほぼずっと埼玉県
幼少期に3年間だけ
父の転勤でニューヨークへ
だからといって英語が話せるわけでもないので
あまり言わないようにしてきました
川越市内の某女子校に通っていた高校時代
一年のうちの350日は部活動!
友人と吹奏楽部へ
未経験でコントラバスを担当
個人レッスンに通うも上達せず…
基本的に不器用です(カファ…)
毎日自転車の荷台に重すぎる鞄をくくりつけ、
風の強い日は長すぎるスカートが風に煽られ、
雨の日は雨合羽を着つつびしょ濡れ
(傘さし運転禁止)
…ひたすら修行のような日々でした(笑)
いろいろと過酷でしたが
望んで入った学校だったので
校則の厳しさもそこまで苦にはならず
部活動と受験勉強で高校生活を終えました
必死で勉強していたつもりでしたが
成績はそこそこ…
結局一応都内だけれど、山奥にある学校へ
片道二時間半かけて通っていました
(長距離の移動はヴァータを乱す…)
高校で抑制されていたものが爆発したのか、
まさに大学デビュー(でも山奥)
髪を染めハイライトを入れピンパーマをかけ、
眉毛もつり上がり気味…
オールラウンドサークルに入り、
加減がわからずバイトを三つ掛け持ち、
いつも疲れていました
↑この時期は痩せていたし、
体調も悪いと思っていなかったので
(むしろ良いと思っていた)
私はヴァータ説(とんだ勘違い)
が後々自分の中に生まれました
中国言語文化を専攻しており、
広東語で単位を落とし
現代映画の授業は
爆竹でラストを迎える展開ばかり…
うんざりしていました
北京と上海に約一ヵ月間
行きました↑写真です
スーパーでは
牛乳の隣にドライヤーが売られ
お釣りを投げられげんなり…
食堂では皆がミカンの薄皮を机に吐き出し、
それを片付ける係がいたこと
エレベーターにも小姐
(シャオジエ、エレベーターガール的な?
いつも座っていてその分人が乗れない)
そんなことばかり覚えていて、
違和感がすごかったです
三年生から体育会の日本拳法部の
マネージャーをやることになったのですが、
家も遠いし如何せん働きづめだったので、
幽霊部員もいいところでした
いつまで経っても慣れないから
顔を出すのにいつも緊張…
友人をマネージャーに誘い、
一緒にやってくれることに
友人はめっちゃ馴染んで、
みんなに好かれ頼りにされ、とても働き者!
その子を誘ったことが
部活動に対する私の唯一の貢献でした
続きます→→→