前回の続きである。

「瀧尾神社」は創建年代は不詳であるが、
平安末期に書かれた『源平盛衰記』には
「武鶏ノ社」と言う記述がある事から、
この頃には存在したと考えられている。
しかし、応仁の乱によって焼失し、
吉坂に移って「多景の社」と改称され、
1586年、豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立に伴って現在地に遷座。
又、『拾遺都名所図会』には1787年、
藤森神社の属社で御旅所になったと記されている。

その後、宝永年間に江戸幕府の命令によって改築され、
社号も「多景の社」から現在の「瀧尾神社」と改称した。








本殿は貴船神社奥院旧殿を移築、改築したもので、
拝殿など計8棟が京都市指定有形文化財である。
又、泉涌寺の僧の守る所であったともされる。








そして拝殿の奇想天外の飛び出す龍と共に、
本殿に施された精密な彫刻は神社としては珍しく、
京都の中でも大変貴重なモノと思われる。








先述述べたようにこの手の込んだ装飾は、
偏に大丸創業者の下村彦右衛門の援助によるもので、
当時の2500両、現在の貨幣価値として約5億円、
潤沢な資金が可能にした。







当時、伏見京町に住んでいた下村彦右衛門は、
行商へ行く道中にあったこの神社に
朝夕欠かさず参拝していた事から由来しており、
後に大丸が繁栄した事から、代々下村家より崇敬されてきた。





正面から見える面だけでなく、回廊には十二支の姿、


水鳥や阿吽の龍、獏、鶴、鳳凰、尾長鳥、
霊獣である犀や麒麟の姿も見える。









これはウサギ?

 

 

 

 

 




天狗?

 

 

 

 

 

 




象の姿もすでに霊獣、









裏側まで丁寧に彫りこまれており、

 

 

 

 

 




ウサギに狙いを定める豹、

 

 

 

 

 


牛の背後にはハツカネズミ、

西本願寺に国宝の日暮門があるが、
ある意味それよりオモシロイ!








小さな境内であるが本殿東には、
三嶋神社、妙見宮などが祀られている。








拝殿の天井の飛び出す龍、
本殿の彫り物も観て満足して帰ろうとしたが、

 

 

 

 

 

 

 


あにはからんや、








この手水舎の柱上木鼻に霊獣、

 

 

 

 

 

 




やはり、彫物師である九山新太郎の作品が彫られていた。

 

 

 

 

 

 

 




四柱の阿吽の獅子以外に側面にも、

 

 

 

 


見過ごして帰るところだったが、
こんなに手の込んだ手水舎は初めて、

 

 

 

 


一つだけ残念だったのは口元が赤く色が付いているようだが、
これはおそらく劣化による欠落部分を近年修復されていて、
厳密な色目を合わしていないので、
この様に違和感が出てしまっている。

何箇所にそのような修復跡が見受けられた。

 

 

 

 

 

 

 



又、本殿の霊獣たちの目の塗装部分修復にも見られた。