今年の干支は辰なので、
龍にまつわる寺院のツワーに組まれる等、
天井画・襖絵の拝観が積極的に紹介されている。
建仁寺、妙心寺、東福寺、龍安寺、善峯寺、萬福寺、永観堂、
殆ど数回は行ったところばかり、と思っていたら、
伏見稲荷の北、東福寺の近く、伏見街沿いにある瀧尾神社。

 

 

 

 

 

この道は少なくとも100回は通っていて、
この神社は何度も確認していたが、
通りからは何の変哲も無い神社、


若しくは伏見稲荷の御旅所と思っていた位、
質素な佇まいと思っていた。








ところが拝殿の天井にとんでもない彫り物が、









全長8mに及ぶ木彫り龍。




創建年代は不詳だが、「源平盛衰記」にその名が見える。
天正14(1586)年に豊臣秀吉が方広寺大仏殿を建立したのに伴い、
現在地に遷座し、在の本殿、拝殿、手水舎、絵馬舎は、
下村家(現在の大丸百貨店)の援助により、
江戸後期の天保10(1839)年〜11年にかけて建造された。


法堂の天井に龍が描かれるのは、臨済宗の禅寺でよく見かけられるが、
こんな立体で彫られた龍がこんな所に潜んでいたとは、






ともかく大迫力、

制作者の経歴は詳しくは分からないが、
高名な京の彫刻家・代々当主が新之丞を名乗る、
九山新之丞氏の子息、九山新太郎作。





彫物師・九山家の一派は祇園祭・大船鉾の船首の龍頭も手がけたと伝わり、
天井龍はその予備に作られた兄弟龍ではないか考えられている。

大船鉾は禁門の変で焼失したが、
2016年に龍頭は瀧尾神社のこの龍を参考に復元されたそうだ。









急所の蛇腹も間近で拝見できる。









牙のような爪も、

 

 

 

 

 

 




雲の上には宝珠、









この木彫り龍はあまりにも精密に作られていたので、









住民の間で「夜になると龍が動き出し川に水を飲みに行く」という噂が立った為、









神社によって逃げ出さないように金網で囲われていたそうだ。










現在は金網が撤去されている。

 

 

 

 

 

 




この様に手の込んだ造作は本殿、手水舎にも施されていて、
大丸の創業者である下村彦右衛門が2500両、現在の貨幣価値で約5億円を
瀧尾神社再興に寄付した事によるもので、

この建築敷地面積からすると法外な金額だが、

この彫り物装飾に大半が費やされたと考えると納得がいく。






これで帰る予定でいたが、
この後、本殿、手水舎の撮影もしており、
写真点数があまりにも多くなった為に、又の機会に。