この数日は小春日和と言うより、春に逆戻りした陽気、
何となく空気が生暖かく、素直に気分が良いとは言えなかった。
京都御苑の大イチョウの撮影に伺った昼下がり
仙洞御所の前を通った時、
受付所には係員以外待機している拝観者は一人もおらず、
この時期に当日枠は空いている筈は無いと思い尋ねる。
今なら僅か空きはあるとの事だが、
凝華洞跡の撮影がどうなるか分からないので、
後でまた来ますと言って撮影に向かった。
程なく大イチョウの撮影は終わり、ダメもとでもう一度訪ねる。
ギリギリセーフ、3時半からの最後の拝観。
30分ほど余裕があったので、
向かいの学習院発祥の地で時間を潰し、
訪日外国人約10名と総勢50名の一個団体の群れに合流。
仙洞御所は言っても何度も訪れているので、
解説者の説明は聞かず、ひたすら撮影に興ずる( ´艸`)。
お車寄せで最初の説明と注意がなされる。
すでに紅葉のピークは過ぎているようだった。
この辺りにも僅かであるがモミジがあり、
枝振りも残り紅葉、散り紅葉までどことなく気品がある。
現在の京都仙洞御所に現存する池泉回遊式庭園は、
大宮御所の北池、仙洞御所の南池を合体させた庭園で、
元々は幕府お抱え作事奉行の小堀遠州が担当している。
この北池は元々は大宮御所の庭園になる。
かなり散ってしまっていたが、
ひと際赤く染めるモミジにも遭遇できた。
仙洞御所初代の主は後水尾上皇、
その後も霊元上皇、中御門上皇、桜町上皇、後桜町上皇、光格上皇、
多くの上皇が住まわれた建物が存在していたが、
1854年(嘉永7年/安政元年)の火災後再建されず、
現在では庭園のみが残っている。
このエリアからが元仙洞御所があった南池。
紅葉橋を渡ると紅葉山。
最後尾で警護の警察官に、
思っていたよりも感動的だったので、
その感想を述べると、
その方は首を傾げ、
こちらのピークは先月の勤労感謝の日辺りで、
今はかなり散っていて、色も鮮やかでは無いとの事。
そうだったのか?
紅葉シーズン、人が多くて来れないと、
全く紅葉の名所として頭から外していたが、
一般にはお目に掛れない格別の紅葉が存在していたのか!
最初の小堀遠州が作庭した庭園は余りにも日本庭園とかけ離れた、
直線的な西洋式庭園だったが、小堀遠州が亡くなると、
後水尾上皇は修学院離宮同様、流線的な王朝風の庭園に作り替え、
その後も上皇が変わる毎に変更がなされてきたと思われるが、
「八ッ橋」から東護岸に見えるこの一角だけが、
小堀遠州作庭の遺構である。
曇り空になってしまって残念だが、
舟遊びをしてみたい気分になる。
解説をほとんど聞いていなかったので不確かだが、
古墳であるようなことを言っていた。
嵯峨野辺りに古墳群が多くあるが、
これだけスペシャルな古墳は無いだろう( ´艸`)。
現存する茶亭、柿葺の醒花亭を見るのは近くより、
この位置くらいが良い。
帰りは再び紅葉山を横切る。
雪の仙洞御所も格別だが、
来年はチャンスがあれば紅葉ピーク期に来てみるのも良さそう。