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2-4.フェミニズム

p151 l1-9にあるようにフェミニズムは男女平等のための女性の地位向上を目的としている立場ですが、リベラリズムの「分離すれど平等」という観点に近いように私は思います。同じようにリベラリズムのアマルティア・センのいう「ケイパビリティ」からこのフェミニズムを考えるのであるならば、女性の技術や才能が活かせる分野というものはなんなのか。活かせる分野において女性の生きる社会にするにはどうしたら良いのかということを考える必要があると思います。

 

正直、女性でありながら私はフェミニズムという立場に根本的に納得していません。女が男と対等になるために女が女同士で争い、女の敵は女という状況を作り出しているように思えます。鉄の壁とも言えるように、男女の大きな壁は崩すことができないと私は考えています。そのような社会において、自分を主張できる、自分が生き生きと生きていける場所を探して生き、その勝てる分野で男性とどのように立ち向かっているかというスライス状にした土俵で分離すれど平等、潜在能力を見出して行くべきだと私は考えました。

 

 

 

 

 

 

2-5.コスモポリタニズム

p187 l8-13にあるように以前の貧困は「絶対的貧困」と言われている「識字率、飢餓、栄養失調」などの目に見てわかる、統計的数量的尺度で容易に測ることのできる貧困でした。そして、グローバル化が進んでいるにも関わらず、貧困=絶対的貧困のみと勘違いをし、p188 l6-9にあるように財では測ることのできない貧困についても考えるようになりました。

 

しかしながら、p188ll11-15にあるようにGDPや平均就学率、平均余命と言った単純数式ではないものの複数の計算式をとくことによってでる結果による貧困にしか過ぎないです。私はコスモポリタニズムがここで失速してしまった理由は決して数式や数字で測ることのできない「心の貧困」について触れていないからなのではないかと感じました。

 

そのことにより、ソーシャルマイノリティとも呼ばれている、社会的弱者は生まれ、今でもなおその差別は続いているのではないかと考えます。一般的な貧困地域が生まれたことと根本的な理由は同じだと思いますが、それが金銭的な問題ではなく、心の中の一見見えない部分での差別や格差だからこそ、ここまで見えにくく、陰湿で差別的なものに発展してきたのではないかと考えます。