■スウェーデンの現状
 

【基本方針】
 
・人口100万人当たりの難民認定申請者数は14年時点で、スウェーデンが7981人と経済協力開発機構(OECD)加盟国の中では最も多い。
住権や手当など難民政策が他の欧州諸国と比べても手厚く、大量の難民が寛容の国スウェーデンに向かっている。(でも一番人気は経済規模の大きいドイツ)。
 
・2015年の夏の時点で、北欧各国各紙によると、スウェーデンとノルウェー、アイスランドは自らシリア難民を受け入れる方針。
特にスウェーデンは定住もOKと柔軟に対応しており、ドイツとともにかなり積極的に受け入れている様子。
政府内では党により意見が分かれたりしているようですが、「スウェーデンの未来にとって良いことである」という姿勢ではあった。
デンマークは受け入れは困難と流入を阻止しており、フィンランドは一時的な場所は用意できても消極的。
フィンランドでも賛否あるが、国全体の深刻な景気悪化が強く影響。
一方、シリア難民の中には、フィンランドに到着したものの「寒すぎる」「人がいない」など、結局フィンランドを出て、
スウェーデン南部に帰っていく難民もいるとの報道も。スウェーデンは受け皿として、長い歴史があることも大きな理由の様子。
 

【方針の転換】
・2015年11月、スウェーデンは国境での検問を一時的に復活する、と発表。「入国者の管理をきちんとするのが狙いだ」と政府関係者は言った。
同国はこれまで難民を比較的多く引き受け、他の欧州諸国にも協力を呼び掛けている。
しかし、難民をあたたかく迎える姿勢は、今後は変わりそうだ。
というのも、10月、これまで新たな難民申請者の多くに与えていた永住権を「3年間の居住許可」に変更する、と決定(永住と3年間の併用)。
難民は成人男性が多く、そのあと故郷に残してきた家族を呼び寄せるケースが多いのだが、この家族を呼び寄せる点についても
基準を厳しくする模様。
 

【わがままな難民】
・なんとかスウェーデン国籍を得ようとする手口の中で一番スウェーデン政府の頭を悩ませているのが、
アフリカなどから何もわからない幼い子供だけを飛行機などで先にスウェーデンに送り込み、
その子供がスウェーデン政府の手で保護されスウェーデンの市民権を得たあとで親として名乗り出て、
あわよくば自分も親権を楯に定住しようというやり方である。
 
・スウェーデン南部のスモーランド地方の小村、グラナフォルサでは昨年暮れから、シリア難民たちによる「幽霊騒動」が持ち上がっている。
第二次大戦中はナチスの逃走兵たちが住みつき、戦後は一時、身体障害者の施設として利用されていた廃屋を改装した難民収容施設に入っている
58人のうち38人が12月30日、「幽霊が出るので怖くて住めない」と、近隣の移民局の事務所に申し出たのだ。
また、ノルウェーとの国境に近い森の町、リメツフォシェンでは最近、バスで移送された約60人のシリア難民のうち3分の1が
「ここには店もないし、寒すぎてとても住めない」として、バスから降りることを拒否する騒ぎがあった。
 

【難民による惨劇】
・スウェーデンでは2014年、2015年の夏季音楽祭We Are Sthlm(スウェーデン語版)において
大勢の10代の少女たちが移民によって性的暴行を受けていたが警察は隠蔽して起訴も報告も行わなかった。
本事件が社会の注目を集めたことによって、事件後の2016年1月11日にスウェーデンのステファン・ロベーン首相が
「少女たちへの二重の裏切りである」と警察を非難する事態となった。
・スウェーデンの難民滞在施設で、レバノンをルーツに持つ22歳の女性職員が15歳の難民孤児に刺殺された事件のように、
きれいごとや理想では済ませられないほど状況が緊張しているのは確か。
 

【難民への迫害】
・1月29日夜、ストックホルムStockholm中心部の駅に覆面の男ら約100人が集まり、駅周辺で生活していた子どもの難民らに殴るなど暴行を加え、
その後、駆け付 けた警察官を殴るなどして男数人が拘束された。
警察は、男らが「身寄りのない子どもの難民を狙おう」「うろつく北アフリカ難民の少年らは罰をうけて当然」という内容のビラを配っていたとしている。
マスク姿の参考写真と、地下街を歩く覆面の一団。一団はスウェーデンのネオナチのメンバーneo-Nazi Swedish Resistance Movementと言われている。
・そのほか、モスクへの火炎瓶や、難民施設への放火も確認されている(これは欧州各国も同様)
 

【スウェーデンを去る難民もいる】
 
・アブアデルさん(48)もまた家族を連れてトルコに戻ろうと考えている。
スウェーデンは合わない、とハフポストアラブ版に話した。アブアデルさんは3人の10代の娘と幼い息子1人の父親だ。
「ここでは子供たちを育てられません。大きな自由は混沌に近く、どこへ行っても付きまとう幽霊に変わりました」とアブアデルさんは話した。
「子供たちが身に着けた独立心、勝手気ままにする自由、そして、故郷の習慣や伝統に従わせようとしたら子供を失うかもしれないという絶え間ない恐怖が、
毎晩私を苦しめる悪夢となってきました」。
アブアデルさんは自らが育った「保守的な社会」に慣れていて「性的な自由が最も恐ろしい」と語った。
アブアデルさんは「子供たちを連れて、祖国へ帰ろうと思います」と話し、
「娘の1人に友情の名の下に、若い男と関係を持たせたくありません。息子が酒を飲もうとした時、座って傍観している自分も想像できません。
すべてはここで許されていますが、私にはそのようにはできません」。
 
・ハムザ・アガーンさん(22)もまたヨーロッパのライフスタイルに合わないと感じている。
「こんな風に生活できません」と言い、「この国の人は私たちとまったく違っている」と話した。
 
また出会った人々について「非社交的で、内向的で、コミュニケーションスキルが欠けている」と指摘、
スウェーデンに来て7カ月、誰とも継続的な人間関係を築けないでいる。
 
・アガーンさんもまた、スウェーデンでの生活になじめないという。
「道路は午後6時を過ぎるとガランとしています。コーヒーショップもありません。バーは週末以外、営業していません」と話した。
「単に退屈でみじめな場所です。言葉を覚えたり、仕事を探したりするのは難しいです。ここには、なじめそうな希望がありません」。
「移民として直面する困難は、街で家を探すところから始まり、最近難民に向けられる人種差別まで数多くあり、そのことが出て行く決心をさせました」。
アガーンさんはこう続けて語った。
「家族、友人の元に戻ります。そして私が理解でき、私を理解してくれる国で未来を築こうと思います。
ここは完全に別の惑星で祖国とはまったく正反対の場所です」。
 
※以上まで、各サイトの掲載内容から引用して編集しています。サイト元は失礼ながら
省略させていただきます。

【まとめ】
少子化が進み、もともとの人口が少ないスウェーデンでは、1930年代から移民を受け入れてきた。「移民局」という省庁があるのも特徴的。
同じキリスト教の東欧や南欧からの移民はともかく90年代に入ると、アフリカや中東といった宗教や価値観の異なる移民・難民が増えてきた。
スウェーデン人によると、「なぜ多数の難民を受け入れるのか」という質問に対しては「労働力の確保という面もあるが、人道主義によるものが大きい」という。
しかし、2015年夏以降の急激に増加した難民に対して、宿泊施設やスウェーデン語学習、職業訓練など追いついていない面が目立ってきている。
物乞いなども増え、マルメはもちろんストックホルムでも街の景色はだいぶ変わってきたそうだ。
均質化された国民・社会ゆえに実現できた高福祉国家は、今や人口の10%を占める外国人によって、大きな姿勢転換に迫られている。