みなさんこんにちは。前回からの続きです。


3月中旬、頂いた連休で実に14年ぶりの韓国・ソウル周辺をひとり旅した際の道中記をお送りしています。


宿泊先「東横イン ソウル東大門1」に荷物を置いて、地下鉄でソウル市内散策をしています。目的地の「ソウル駅(서울역 ソウルリョク、ソウル特別市中・龍山区)」に戻って来ました。
さて、特急列車「KTX」が発着するここはターミナル駅。時間はたっぷりありますので、じっくり撮り鉄が出来ます。


ところで、駅コンコースに見かけたこのポスター。おねえちゃんたちが並ぶものですが、アイドル活動?と思ったのですが。



ところで、地下鉄の2番出入り口からすぐのところには、赤レンガづくりの立派な建物がライトアップされています。
ソウル駅の名所だというのですが、これはかつて使用されていた、旧駅舎だといいます。


その前に立つ、外套をまとった人物の像。

当地では、抗日運動で命を落とした活動家を「義士」と呼び、現在までこのようにして伝承されていることは知っていました。

駅舎の方ですが、ライトアップされてその美しさが実に映えます。東京駅のようです。

現在役割を終えて保存されている旧駅舎は1925年9月30日に竣工した。設計は東京帝国大学教授・塚本靖(つかもと・やすし、1869-1937。京都府出身の建築家)によるもので、ドイツ・ルツェルン駅を手本としたと伝わる。(中略)
1917年から1925年まで朝鮮総督府鉄道の運営を委託されていた南満洲鉄道は、日本・朝鮮・満洲を結ぶ国際列車が発着する駅にふさわしい国際的なレベルの駅舎を目指していた。

駅舎の工事は1922年6月に始まり、1924年に完成予定であったが、1923年の関東大震災の影響で工期が延び、工費も減額された。建築規模は地上2階地下1階、延床面積6,631 m2で当時としては大型建築物であり、2階に貴賓室と食堂、1階に待合室など、地下に駅事務室があった。
1階の待合室の中央には大きなホールがあり、その上部の屋根にはビザンチン風のドームがあった。そのドームの側面にある半円アーチの窓から中央ホールの内部に自然光を引き込んで、明るい空間を形成していた。建物は鉄筋コンクリート造のレンガ組みで、屋根は鉄骨造で天然スレートおよび銅板を敷いて仕上げていた。

旧駅舎は1950年の朝鮮戦争で損傷を受け、修理の過程でコンコースの天窓の意匠が変更された。1958年1月には駅舎南側に特急列車の待合室が増設された。
戦後の韓国では、同時期完成の朝鮮総督府庁舎とともに日本帝国による朝鮮搾取のために建設された代表的な建築物とされていたが、歴史的に重要な建物であることから、1981年8月25日に大韓民国の史跡第284号に指定された。1988年のソウルオリンピックに合わせた橋上駅舎の完成で駅機能の多くが旧駅舎から移転した。

さらに、2003年に旧駅舎南側に新駅舎が完成した後は駅舎としての役割を終えた。
旧駅舎は当初、鉄道文化財団によりシネマテークなど各種の文化施設として用途転用される予定だったが、史蹟284号に指定されているソウル駅を原型保存すべきとする文化財庁は韓国鉄道公社に所有権の移転を要求し、2006年に文化財庁に所有権が移転され、2007年7月には文化観光部によって、いわゆる「複合文化空間」への転換が発表された。

旧駅舎は2009年4月に改修工事を開始し、2011年8月9日に「文化駅ソウル284」という、ソウル駅の歴史などの展示を中心とする複合文化空間としてオープンした。
これに合わせ、韓国の文化観光体育部(2008年に改称)は2008年9月から11月15日まで、最優秀に1400万ウォンなどの賞金を用意し、ソウル駅にまつわる逸話や資料の収集を行った。


戦前の日本は、内地と呼ばれる現在の国土の他に、朝鮮半島や台湾、樺太の南半分や、南太平洋諸国の外地も有する「大日本帝国」という国家でした。出典①。

朝鮮半島は、1910(明治43)年に当時の大韓帝国との間で交わされた合意をもとに、日本領土としてその全域を編入。大陸を目指す当時の日本にとっては、重要な地位を占めました。
現在のソウルは京城(けいじょう)と呼ばれ、朝鮮半島の中でも最も繁栄した都市でした。

日本内地からは、下関(山口県)や博多(福岡県)から鉄道連絡船で、まず釜山(ふざん)に上陸。朝鮮総督府鉄道に乗り換え、7時間ほど要したところが京城でした。

元山(げんさん、ウォルサン)から清津(せいしん、チョンジン)を経由すると、ロシアとの国境を越えます。はるかヨーロッパへ繋がるシベリア鉄道との連絡がなされていました。

かつて行われていた、ソウルから北方向への中国大陸やシベリア鉄道方面への連絡は、陸路ではもう不可能になってしまいました。
しかしながら戦後、建国された韓国全土に張り巡らされた鉄道網は、ソウル首都圏が中心になっています。立派な駅舎を構えるかの地を代表する駅には、いまも昔も変わりません。
さて、それそろお腹が空いて来ました。
14年ぶりの韓国で、はじめての夕食になるのですが。なにを食べよう。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「昭和9年版 復刻版地図帳」帝国書院編・刊 平成18年11月初版発行)