「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪れる〜その24 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。

今年(2025年)で75年を迎える京阪特急。本題の「8000系」について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示や、手元の参考文献などにも触れながら項を進めています。


「二階建てダブルデッカー」や「プレミアムカー」を連結するなど、特別料金不要の列車としては、国内随一の居住性の高さを誇る「8000系」。まさに「フラッグシップ」としての活躍を続けるこの車系の経歴について触れています。




1989(平成元)年10月、洛北・比叡山方面へのアクセスを大幅に向上させた「鴨東線(おうとうせん)」開業に合わせてデビューした、6代目京阪特急専用車の「8000系」。七条にて。


ここからは、前回記事でも参照した手元の、京阪電車広報誌「くらしの中の京阪」より。




これまでの京阪電車にはないような大きな窓で明るい車内、乗り心地良い座席に人気が集中。

先代の「3000系(初代)」との設備差が歴然としていたことから、これらをすべて「8000系」へと置き換えることになります。出典①。


1993(平成5)年8月には、予定の10編成70両がすべて登場。先代の「3000系(初代)」は予備車的に1編成のみが残されるのみとなり、ここに京阪特急の世代交代が成りました。出典②。




その2年後の1995(平成7)年12月、先代特急車「3000系(初代)」に、従来の平屋車両を大改造した「二階建てダブルデッカー」が登場。出典③。




これが大変な人気を博したことから「8000系」を7→8編成化するのに合わせて、こちらにも「二階建てダブルデッカー」を組み込むことが決まります。出典④。




計画では10編成すべてに「二階建てダブルデッカー」を連結する、というもの。

「3000系(初代)」での技術を活かし、自社工場での改造ではなく、車両メーカー(川崎重工業)で新造されました。




座席配置が1×2人掛けだった「3000系(初代)」の設計を見直し、車両限界ぎりぎりまで車体を拡張したことから、室内も拡大。


さらに上下階ともに2×2人掛けの座席配置に出来たことで定員を増やすことにも成功します。




1997(平成10)年9月11日に最初の2編成、翌10月には3編成と導入がはじまり、早速に好評のうちに迎えられました。出典⑤。




そして、1998(平成10)年4月にはすべての特急専用車両に「二階建てダブルデッカー」車が連結。伝統の「テレビカー」と合わせて、特別料金不要の特急列車としては、国内最高のクオリティを誇る存在になったのでした。出典⑥。



いまなお上下列車ともに始発駅からでないと座席の確保が難しいほどですので、京阪特急にはいつもお世話になっているものの、実はあまり乗車した機会はありません。


ただ、待っても階上席からの眺めは素晴らしいもの。久々に乗りたくなりました。




さらに「中之島線」開業(2008年10月)を期して、伝統のレッド・オレンジ地を活かした塗装変更や、車内の大規模リニューアルを施行。


「エレガント・サルーン」という愛称が付けられ、またも面目を一新するのでした。ブログ主所蔵。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「くらしの中の京阪」VOL.197 1992年7月号)

(出典②「くらしの中の京阪」VOL.211 1993年9月号)

(出典③「くらしの中の京阪」VOL.239 1996年1月号)

(出典④「くらしの中の京阪」VOL.253 1997年3月号)

(出典⑤「くらしの中の京阪」VOL.259 1997年9月号)

(出典⑥「くらしの中の京阪」VOL.266 1997年4月号)