みなさんこんにちは。前回からの続きです。


先日、3日に2025年の初乗りを果たしたのが京阪電車。
その最初の車両「2200系」が、新年からえらい遭遇だった、という話題をお送りしています。京橋にて。


ヨメハンの実家最寄り(大阪市内の各駅停車しか停まらぬとある駅)から乗車した列車だったのですが、車内ウォッチで見つけたのは
「神戸川崎車輌 昭和40年」の製造銘板。
なんと、今年で御年60歳。還暦の身でした。


京阪電車というのは、伝統的に経年の古い車両に対して実に精緻な整備を重ね、第一線でばりばりと活躍させる鉄道会社です。
乗り合わせたのは、大阪方先頭車の「2259号車」。デコラや座席の緑色が目立ちますが、ついぞ60年経年しているものとは思えません。

京橋を発車しました。
普段から京阪電車に乗っていて、さらに趣味的な観点から見ているはしくれとしては、そういった経緯が「2200系」以外にも多数例ある、ということは重々承知はしているのですが。
地方私鉄ではなく、京阪電車は大手私鉄です。ついぞ、これほどまでの車齢の電車を日常的に走らせているとは。それでも、そのような車齢とはとても感じないというのも、すごいこと。

しかし、昭和から平成をはさみ、令和に至る60年ですから、デビューした当時というのはどのようなものだったのでしょうか。
そのようなことを考えていますと、手元のこのVHSビデオのことを思い出しました。
1996(平成8)年に発売された「甦る京阪電車の昭和時代(企画制作 ABCアーカイブ・朝日放送 90分)」という、ビデオ作品(ユーチューブにも上がっていました)です。

タイトルにあるように、朝日放送で保存されている映像を主に用いて、昭和時代の京阪電車全線・全駅と車両を紹介するというもの。
このビデオ、とても大好きで擦り切れるほど見返しまくったのを思い出します(実際に擦り切れたので、あたらしいのを買いました汗)。

その作中から、ちょっと拾ってみましょう。
レトロなトラックやセダンが、幅の広い踏切で列車待ち。左奥には、大阪市電も見えます。

このショットは、京阪電車随一の大ターミナル「京橋駅(大阪市都島区)〜天満橋駅(同中央区)間」で撮影されたもの。
現在は下りで京橋を出ると高架線で、大阪城がちらっと見られる場所に当たります。グーグル地図を加工。


ところが、先ほど触れた高架線に切り替えられる以前、つまり明治開業以来の地上線時代は、線路は現在のルートとは異なり、現在の北側でカーブを連続させながら走っていました。
この交差点の東側(京橋方)にあったのが「片町駅(同都島区)」という駅でした。

新ルートの高架線への切り替えにより、あたらしい京橋駅(現在の高架駅)に統合される形で、1969(昭和44)年11月に廃止されました。
追記しますと、このようになりましょうか。
片町駅の西側(天満橋方)で道路、そしてその真上を走る大阪市電と、ここで平面交差をしていたのでした。

大阪市電は「都島本通(同)〜あべの橋間(同天王寺区)」を結んでいた系統がここを走っていたとのこと。1968(昭和43)年12月に廃止。

踏切に差し掛かるのは、京都から本線を走破して来た特急列車。「1900系」です。


特急列車と行き違いに、この平面交差をそろそろと通過する列車。
通勤型車両の緑濃淡の塗装も懐かしいものですが、この時代は行先表示器など存在しておらず種別や行先は板で掲出していた時代でした。

市電を待たせて悠々と通過する、この車両がなんとくだんの「2200系」なのでした。
車番までは読み取れないのですが、通風器(まだ非冷房時代だった)や屋根上のパンタグラフの位置、編成の内容でわかった次第です。

京橋から3分ほどで「天満橋駅」到着。
しかし、大阪市電が全廃されたのは、先の大阪万博の前年、1969(昭和44)年3月のこと。
この車両もその前にすでにデビューしているので、ビデオにあるように、市電と日常的に顔を合わせていたことになります。
そんなこととはつゆ知らず、中之島に向けて出発して行きました。いや、すごいわぁ…


ところで、この日に使用していた「大阪・京都1日観光チケット(前売1200円、当日1500円)」のデザインが、まさに「2200系」。限定バージョンでした。
パンタグラフが小型の下枠交差式に装換され、冷房装置も取り付けられているので、架線電圧の昇圧対応を含めた、これらの工事が開始された1974(昭和49)年から、現在の丸っこい顔つきになった車体改修工事の開始、1984(昭和59)年までの姿だと思われます。

くだんの高架線で、京橋から天満橋を向いて撮影されたものだとわかるのは、背景に「OMMビル(大阪マーチャンダイズ・マートビル)」が控えていること。
天満橋の駅前にあるビルですが「ベスロン」の幾何学的な装飾が懐かしいです。まだ幼少の頃でしたが、この不思議な模様に、ベスロンってなんなんやろう?と見る度に鮮明でした。
アクリル繊維の商品名、だと知ったのはだいぶ後のことでした。余談でした。


めでたく還暦を迎えた「2200系」ですが、最新型通勤車両の「13000系」が来年度にかけて実に70両弱も投入される、という報が昨年ありました。おそらくは「2200系」も、これに置き換えられてしまうのだろうと思います。
本線から支線まで、すでに主役級の存在感を示しています。私市、寝屋川車両基地にて。

小さな頃から馴染んだ緑の京阪電車という、昭和時代の雰囲気をふんだんに残したこの車両。長年の活躍に思いを馳せられるのも、いま少しなのかも知れません。
しかし、新年から価値ある出会いでした。
今日はこんなところです。