「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪れる〜その6 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



「くずはモール(大阪府枚方市)」内の京阪電車鉄道博物館「SANZEN-HIROBA(さんぜんひろば)」で現在、開催されている「平成・令和時代における京阪電車のフラッグシップ 8000系展」を訪問した際の様子をお送りしています。


来年(2025年)で、京阪特急の誕生から75年。本題の「8000系」について取り上げる前に、その歴史について、ここ「SANZEN-HIROBA」の常設展示などにも触れ、項を進めています。



さて、1950(昭和25)年9月に京阪特急が誕生した際、シンボルマークとされたものがこの丸型マークでした。現在の「鳩マーク」とは異なるのは如何に、ということを前回まで触れました。出典①。




同じ時期、京阪ではあらたな特急マークを一般公募することになり、結果、沿線の「石清水八幡宮(京都府八幡市)」の「神勅の鳩」にヒントを得た「鳩マーク」が誕生します。1952(昭和27)年7月のことでした。今年の初詣にて。




奇しくも日本は1951(昭和26)年9月、「サンフランシスコ平和条約」に調印。終戦直後から続いた連合国による占領を終え、再び、独立国としての歩みをはじめます。出典②。



「鳩」は、言わずと知れた平和のシンボル。

戦争が終わり、平和を希求する世論も大いに影響していたのやも知れません。以降、令和の現在まで「鳩マーク」は、京阪特急のシンボルとして使用され続けているのでした。



そういったことで、丸板の特急看板は京阪特急の誕生からわずか2年弱しか存在しなかった、幻のヘッドマークなのでした。出典①。



さて、ここは「淀屋橋駅(大阪市中央区)」。

時は、2015(平成27)年9月のこと。

この年には「京阪特急デビュー65周年」を記念したイベントが行われました。


ヘッドマークを掲げたくだんの「8000系」が、準急運用で入線して来たところ。



乗客の降車が終わり、車内整備を行っている間に乗務員さんが、また別のヘッドマークを差し入れます。


これが、幻の「丸型特急板」を復元したヘッドマーク!さらに二枚看板という、なんとも豪華な仕様で運行されていたのでした。


この時の「65周年」の記念イベントは、なかなか盛大に行われていた記憶があります。



いま訪問している「SANZEN-HIROBA」で展示されている「初代3000系」。

こちらにも、同じヘッドマークの掲出展示。



令和の現在にもつながる、この伝統の「鳩マーク」を掲げて1953(昭和28)年に登場したのが、当時としては、最先端を行く高性能車両だった3代目特急専用車「1800形」でした。



この車両には長年、京阪特急のシンボルとして親しまれることになる「テレビカー」を連結、以降、絶大な人気を得ることになります。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「京阪百年のあゆみ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 2011年3月発行)

(出典②「新詳日本史図説」浜島書店編・刊 1991年11月発行)