みなさんこんにちは。前回からの続きです。


「テレビカー」こと「初代3000系特急車」と「日本初の多扉車」、客用扉を5枚持つ「5000系」がシンボル展示になっている「SANZEN-HIROBA」ですが、敷地内に入ると、さらにカットモデルの車両が展示されています。

それがこの「2600系」。トップナンバーの「2601号車」の運転台部分のみが、カットされた状態での展示がなされています。
丸みを帯びた車体は「卵型車両」とも諢名されるもの。昭和30年代半ばから40年代半ばにかけて、旧型車両の置き換えと増発のために、形式名「2000系列」として、複数の系列にわたって多数製造されたのが、この卵型車両です。

「昭和の京阪電車」というとまさにこの形ですが、令和に入った現在でもその一部はまだまだ現役ばりばりで活躍を続けていることで、注目を集めています。順に「2200系(1964〜1968年、増結用が1985年製造)」。枚方市にて。

「2400系(1969〜1970年製造)」。関西初の通勤型冷房車両として登場。枚方公園にて。

そして「2600系30番台(1981年製造)」。寝屋川市にて。
ちなみに、展示の「2601号車」は1978(昭和53)年6月製造ですが、もとを辿ると初の「卵型車両」として、1959(昭和34)年から製造されたこの新型通勤車両「2000系」という車系の車体を流用し、大改造した車両です。出典①。
「2601号車」もその例に漏れず、もともとは「2000系 2043号車」として、1962(昭和37)年3月に製造されたもの。「2601号車」として廃車されたのは2022(令和4)年9月。車齢は、数えて60年という、異例の長寿なのでした。
他の鉄道会社に比して、車齢が極めて高い車両を長年にわたり使い続けるのは、整備技術が卓越している京阪電車の大きな特徴です。


これはこれで興味深い経緯があまたあるのですが、本題から外れますので別の機会に、ということにします。石清水八幡宮にて。


前置きが長くなりましたが、いよいよ展示コーナーに辿り着きました。すいません、寄り道はいつものことなのですが(汗)
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「鉄道ピクトリアル No.427 臨時増刊号 特集 京阪電気鉄道」鉄道図書刊行会編 1984年1月発行)