JR西日本「乗ってみよう北陸 WEB早特きっぷ」で行く北陸新幹線と越中富山を乗り鉄の旅〜その25 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。


今春あらたに開業した「北陸新幹線 金沢〜敦賀間」に初乗りかたがた、開業に合わせて限定発売されたチケットレス企画乗車券「乗ってみよう北陸 WEB早特21」なるきっぷで、富山周辺を日帰り乗り鉄した道中記をお送りしています。


ただいま「富山地方鉄道(富山地鉄)電鉄富山駅」。日帰り富山周辺乗り鉄の最後に、地鉄を少しばかり初乗りしようかというところです。



いまから30年前の1994(平成6)年8月、この駅で出会った、現在も地鉄の看板車両になっているこの「10030形」、もとい「京阪電車」から移籍して来た「3000系特急車」について、その思い出をつらつら述べております。


「京阪電車3000系」は1971(昭和46)年にデビューした、京阪電車の四代目特急専用車両に当たります。

国鉄(現在のJR)、阪急と京阪間の激しい競合を勝ち抜くために、全車冷房やカラーテレビの設置、オール転換クロスシート(進行方向に座席の向きを変えられる)を設けるなど、特急料金不要の列車では当時としては破格の豪華な装備で、大変な人気を博した車両でした。


昭和40年代後半から昭和が終わる頃までの間、京阪電車を代表する、まさに別格の存在感を示していました。大好きな車両でした。


しかしながら、時代は平成に入ります。これについては、手元の出典①より。



全車冷房完備と「テレビカー」の愛称で親しまれた「3000系」ですが、出町柳まで延伸した「鴨東線(おうとうせん)」開業(1989年10月)に合わせて登場した後継の特急専用「8000系」の増備が進むに連れて、廃車がはじまります。


ちょうど、富山地鉄では旧型車両の置き換えを計画していたことから、これの譲渡が決定。

そして、1991(平成3)年3月から富山地鉄で第二のデビューを果たします。以降、富山での車齢は京阪特急時代をはるかに超えました。


ところで、「富山地方鉄道 10300形」となった「京阪電車 3000系テレビカー」。外観の見た目には、京阪時代とそれほど変化はありません。


塗装はイエローとグリーンに変わり、助手席側(向かって左側)に行き先と種別の表示器が、その真上には列車無線アンテナのボックス。

京阪特急のシンボルだった鳩マークは、鉄板で塞がれています。しかしながら、床下機具や運転機具の類は大きく装換されていました。


京阪電車と富山地方鉄道では軌道幅が異なるため、同時期に廃車となった「営団(現在の東京メトロ)日比谷線 3000系」の台車と、主電動機類を流用。出典②。


さらに一部の編成では、この時期にやはり廃車となった「JR485系」の台車を流用。出典③。

そういったことで、京阪特急の外観をしているのは車体、ハコの部分だけだというのです。まったく異なる会社の車両部品を組み合わせているとは、これは興味深いものがあります。


デビューから20年あまり経過しながらも、車両の手入れが隅々にまで入念になされているあまりの状態の良さに富山地鉄の首脳陣は驚き、最初の編成が入線する前から、追加の譲渡が決まったほどだったというエピソードもあります。

最終的には「8編成×2両=16両」が京阪から富山地鉄に移籍し、同社の看板車両として現在でも活躍を続けています。



富山地鉄最大の勢力となった「10030系」ですが、実はもともと「3000系テレビカー」の京阪電車ではなく、ライバル関係にあった阪急電車からの車両譲渡が計画されていたといいます。

それがこの「2800系」という車両。出典④。


「阪急京都線」で特急専用車として、1963(昭和38)年から登場した車両でしたが、競合の激しい京阪間の競争があり、後継の「6300系」というこの車両の登場で、3扉・通勤型車両への改造がなされました。


本系列(阪急2800系)の廃車に際しては、程度の良い中古車を探していた富山地方鉄道から車体の譲渡が打診されていたが、これは同社が計画していた2扉クロスシート車への復元に必要な転換クロスシートの調達がネックとなった。

2扉クロスシート時代の「2800系」。出典⑤。



丁度同時期に廃車が始まった京阪3000系(初代)の座席を流用するという案も出されたが、それならば現役の2扉クロスシート車であるそちらの方が改造に要する手間が少なく低コストで済み、またその状態も良好であったことから、同系列が譲渡されることとなり、本系列の譲渡は実現しなかった。(以下略)



「2扉・転換クロスシート」から「3扉・通勤型」に改造したこの車両を富山地鉄が譲り受け、中央に増設された扉を塞ぎ、ロングシート(窓に背を向けて座る)を転換クロスシートに装換しようという計画だったのでした。


つまりは、デビュー時の姿に生まれ変わらせようとしたのでしょうが、解説にあるように、それならばもともと「2扉・転換クロスシート」の「京阪3000系」を譲り受けた方がよいはず。



激しく競合していたライバル関係にある会社同士の車両や座席を巡って、というのは…これはなかなか興味深い経緯ですが、もし当初の計画通りになっていれば、富山地鉄の雰囲気もまったく違ったものになっていたのでしょうね。


わたしは物心つく頃から京阪電車大好きですので、現況には満足しています。富山に行けば、大好きなテレビカーに再会出来るのだと。



次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典① 京阪電気鉄道株式会社90周年記念誌「街をつなぐ、心をむすぶ」京阪電気鉄道株式会社編・刊 平成12年10月発行)

(出典②「フリー百科事典Wikipedia#営団3000系電車」)

(出典③ 同「国鉄485系電車」)

(出典④「カラーブックス日本の私鉄3 阪急」高橋正雄・諸河久共著 保育社刊 昭和55年10月発行)

(出典⑤「フリー百科事典Wikipedia#阪急2800系電車」)