みなさんこんにちは。前回からの続きです。


暫定ながら、ついに完乗を果たしたJR東日本の全路線。その続編ということで、引き続き「キュンパス」を使い、北東北からあちこち寄り道しながら、帰阪の途に就こうという旅日記をお送りしています。



旅の第2日目(2024年3月12日)も、ぼちぼちと佳境に入って参りました。


土砂降りの大雨でも楽しめる乗り鉄をしようと上野駅からの京浜東北線を「王子駅(東京都北区)」で下車したところです。



時刻は2時半前。東京駅から乗る、帰阪の新幹線の発車まであと2時間ほどですが、残された時間との睨み合いになりそうです。




狭いホームに、なんとも雰囲気のある連絡通路。「東京メトロ南北線」も乗り入れる交通の拠点だというのですが、乗降客が多いであろう駅がこういった佇まだと、わくわくします。


さて、ガード下の改札を出ますと…
おっ、いまいちばん話題のこの方の姿を発見。あの、渋沢栄一翁(1840-1831)です。

晩年、生活の拠点にしていたのがここ王子だとのこと。これは知りませんでした。


そういえば、先ほどのホームにもこのような解説があったことを思い出しました。

ここまで乗車して来た「京浜東北線」は正式には「東北本線」の一部に当たりますが、その前身の「日本鉄道」なる私鉄を興したのが、まさに渋沢翁だったという。


現在の埼玉・深谷市の農家に生まれた渋沢は幕臣を経て、明治維新後は官僚に抜擢されます。

大蔵省を退官した後には実業家に転身、さまざまな企業や経済団体の創設、さらに医療・福祉や教育分野の増進に関わるなど、我が国の基礎を築く、多種多様な事業を手掛けたことで知られています。さんざんメディアで取り上げられていて、いまさらですが…



ちなみに、わたしの大好きな京阪電車も、その創設には渋沢翁が名を連ねていたといいます。

「電気鉄道」という、明治末期に登場した最新技術を用いた鉄道を敷設するに当たり、中央とのつながりが深かろう渋沢翁の尽力は、その実現の大きなエネルギーになったに違いありません。石清水八幡宮、京橋にて。


そして、今月はじめから発行がはじまった「新一万円札」その人です。長年、福澤先生に親しんだ身としては、まだまだ慣れないのですが。



そういえば先日ATMでお給金を下ろした折に、ようやくわたしにも渋沢翁がやって来ました。
裏面は東京駅なんですね、奇遇です\(^o^)/

ただ、福澤先生の時と同様に、サイフからはすぐに居なくなるんでしょうが(苦笑)


渋沢翁が万札のモチーフになったのも、この駅近くに国立印刷局があることも関係があるのかも知れません。興味深いものがあります。


さて、そのガードをくぐって駅の東側へ進みます。屋根がありますので濡れずですが、王子に降りた目的というのは、まさにこの先。


目の前の横断歩道を、たくさんのクルマが走る道路に向かって、一両編成が急カーブを取ろうというこの光景。



東京に唯一残る路面電車「都電荒川線」が発着しているのが、この王子駅なのでした。


次回に続きます。

今日はこんなところです。