みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今年3月、期間限定で発売されたJR東日本全線乗り放題の企画乗車券「キュンパス」で、その北東北の未乗線区を乗り鉄しようと旅した際の様子をお送りしています。
旅の第1日目(2024年3月11日)。
仙台からはじまった北東北のJR東日本未乗線区を乗り鉄の旅もついに「青森駅(青森市)」に辿り着きました。時刻は19時21分、定刻でした。
この駅には「旧東北本線」だった「青い森鉄道」の他にも「JR奥羽本線・津軽線」が乗り入れています。こちらは並行在来線ではないので、JR路線のまま。
発車待ちしている奥羽本線の列車には、家路を急ぐ人々が次々と乗り込んで行きます。このような風景は、全国どこでも同じ。非日常の旅先でもちょっとほっとします。
跨線橋に上がって来ました。
現在、青森駅はホームは3面、6線という構内だそうですが、青函連絡船が健在だった頃はそれよりもっと大規模なものでした。
駅は行き止まりの頭端式(とうたんしき)と呼ばれるものですが、かつては奥に見える斜張橋の向こうから青函連絡船が発着していました。
駅の規模としては大きいことは大きいのですが連絡船の廃止(1988年3月)、新幹線の新青森開業(2010年12月)という経緯を経て、この駅も改装がなされ、さらにその役割も変貌しているようです。
ところで、青森駅に降り立つのは実に22年振りのことなのでした。前回に訪問したのは2002(平成14)年2月のこと。やはり、東北地方のJR線乗り鉄がその目的でした。
ここからは、その際に収めたショットをご覧頂くことにいたします。
発車待ちしているのは、旧国鉄からの485系という特急車両。この頃は青森周辺のみといわず、大阪近郊でもあちこちで見られました。
オリジナルカラーを纏う、これも485系。
「特急かもしか号」は「秋田〜青森間」を結んでいた特急列車。3両編成という、短いもの。このアイボリー地に赤青の帯は雪中、実に映えるものでした。これはよく覚えています。
ホームを替わると、なんと「ドラえもん」がラッピングされた電気機関車が。「ED79形」という、青函地域でしか見られない機関車でした。
機関車の後ろには、青色に白帯が引かれた客車が連結されているのがわかります。青函トンネルを通り、函館まで走っていた「快速 海峡号」でした。この頃は、普通乗車券だけで北海道に行けたという、夢のような時代でした。
「北海道新幹線」の開業を前に両駅は廃止されてしまいましたが、海峡号の一部はこれら海底駅に停車。その施設を見学出来るコースが設けられていたのでした。
そして、当時は最新鋭だった「E751系」という車両を使用した「特急スーパーはつかり号」。盛岡で東北新幹線に接続する形で、青森〜盛岡間を最高時速130km/h、最速1時間58分という速達で結んでいた看板列車でした。
しかしながら、東北新幹線新青森開業(2010年12月)を以て「奥羽本線」に転属、現在は弘前、秋田方面の「特急つがる号」として運用されています。
長・中距離列車の多くがなくなり、地域間輸送を主軸にしたダイヤに、現在は組み替えられています。駅の、路線の役割が新幹線に取って替わられた訳ですが、時代の流れを感じます。
さて、駅の西口から少し歩くと、かつて「青函連絡船」の一員として活躍していた「八甲田丸」を改装した「メモリアルシップ」がありました。
機関室や操舵室にも自由に入ることが出来て、大変興奮したものだったのを覚えています。
これの岸壁に見つけたのは「津軽海峡・冬景色」の歌碑。石川さゆりさんが歌う、あまりにも有名な歌ですが、ここはまさにこの歌詞の通りやなあと、吹き付ける風雪と寒さの中で感じたものでした。
1988(昭和63)年3月の「青函トンネル」開通にともなって、廃止された青函連絡船。旅客や貨物だけではなく、鉄道車両をも輸送していたことでも知られていました。
客席階から降りたところには、たくさんの車両群も展示。鉄道連絡船ならではです。
実際に輸送していたのは貨車の類だったそうですが、海を渡った北海道ゆかりの車両が並びます。道内で特急列車として活躍した、キハ82。
とかく、本州と北海道とを結ぶ連絡船の長い歴史を垣間見られたようで、長年にわたってどれほどの重要な役割を果たして来たのかと、感心しきりでした。客席の写真はないのですが(汗)
それから20数年ぶりの青森駅ですが、これほどまでに旅情を感じたのは、あながち大げさではありませんでした。
次回に続きます。
今日はこんなところです。