みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年3月、期間限定で発売されたJR東日本全線乗り放題の企画乗車券「キュンパス」で、その北東北の未乗線区を乗り鉄しようと旅した際の様子をお送りしています。



ただいま「野辺地駅(のへじえき、青森県上北郡野辺地町)」。


本州の北の突端、下北半島に至る「大湊線」とかつての「東北本線」を引き継いだ第三セクター「青い森鉄道」が発着する、県内上北地域の交通の拠点です。



時刻は、早や午後6時を回ったところ。

緯度の高いところを旅していますので、春先とはいえどもう闇夜の様相です。それが却って旅情をそそります。



さて、交通の拠点であるこの「野辺地駅」に乗り入れている路線は、先ほど触れたように2つ。

しかしながら1997(平成9)年5月までは、駅の西側に鬱蒼と茂る鉄道防雪林の手前に、もう一路線が乗り入れていました。



それは「南部縦貫鉄道」という、実に壮大な名称を掲げるローカル線。ここから、古き城下町として知られる「七戸町(しちのへまち)」までを結んでいました。


それ以上に、日本ではここだけという「レールバス」という、小型バスの車体を乗せた小さなディーゼルカーがその任に当たっていたことで、鉄道ファンには全国的に有名なのでした。出典①。



では、この「南部縦貫鉄道」についてはここからも、全国47都道府県を鉄道駅から詳しく取り上げるシリーズ「各駅停車全国歴史散歩3 青森県(東奥日報社編・河出書房新社刊 昭和57年1月発行)」から、拾ってみることにします。


南部縦貫鉄道は、十和田市に隣接する七戸町(しちのへまち、同上北郡七戸町)に本社を置き、昭和37年10月20日、七戸町と東北本線野辺地駅間20.9キロに開業した。この鉄道は全国の鉄道ファンには知られている。


というのは、11駅あり、1日14本も運行されているのに駅員はたったの4人、また、レールを走る列車がわが国では唯一のレールバスということによる。(P206)



古い歴史をもつ城下町

七戸


鉄道マニアの憧れのまと

東北本線から大湊・大畑線への乗り換え駅となる野辺地駅ーこの野辺地駅のレールに沿って杉の古木の林がある。わが国最初の鉄道防雪林だ。


その防雪林のすぐそばに時折、中型バスのような形をしたディーゼル車が停まっていることがある。これが野辺地ー七戸間を走り、わが国唯一のレールバスとして鉄道マニアに知られる私鉄、南部縦貫鉄道だ。



カッタンコットン、カッタンコットンと1日7往復、野辺地から七戸までの20.9キロを、ほとんど国道4号線沿いに走る。


この国道は東京ー青森間の主要幹線だけに、バスやトラック、その他の車両の通行も多いのだが、今の観光バスやトラックに比べたら、このレールバスはその図体もスピードもまるでおとなと子ども。おもちゃのような鉄道と見えるところが、鉄道マニアの興味をそそるらしい。



この鉄道が、七戸町を中心とした人たちによって計画され、会社が発足したのは昭和28年のこと。(中略)しかし、当初から資金難に見舞われ七戸ー千曳(ちびき、同東北町)間15.6キロに開通したのは昭和37年のことだった。

昭和43年に、東北本線の路線変更により千曳駅が移設されることに伴い、国鉄の線路敷を利用して野辺地まで路線が延伸された。


この鉄道は、七戸町に隣接する天間林村(てんまばやしむら、2005年4月に合併で七戸町となる)から産出する砂鉄資源や沿線各町村の農産物運搬を見込んで計画されたものであり、当時、この砂鉄を利用して国策会社「むつ製鉄」の創業が計画されていたが、机上計画のうちに消えた。


それに代わるものとして、これも国策と同じように広められたビート栽培があり、南部縦貫鉄道はこれによって息を吹き替えせるかと思われたのであるが、これもビート生産がようやく軌道に乗り始めた段階で中止に。



ちょうどそのころから、バスやトラックによる陸上輸送網が進展、加えて昭和43年の十勝沖地震の被害を受けるなどして、この南部縦貫鉄道には苦難が絶えない。ことに、最近のマイカーの普及は、その乗客数にも大きく影響、今は保育所に通う幼児や通学生たちが乗客の中心となっている。


1日約350人の利用者を22名の従業員がさばいているが、この従業員たちは本業のほかにタクシー、学校給食の調理・運搬などの副業を手がけて増収を図っている。(P212-213)



なるほど、地域の中核都市「七戸」と、資源が豊富で開拓途上の有望な沿線に敷かれた、比較的あたらしい鉄道だったのですね。しかし、その成り立ちは苦難に満ちたものだったことがわかります。これははじめて知りました。


ところが、野辺地駅には旧国鉄の廃線跡を利用して乗り入れていたことから、国鉄清算事業団に用地の買い取りを求められたものの困難で、1997(平成9)年5月をもって営業を休止。


5年以上、休止した後の2002(平成14)年8月、正式に路線廃止がなされました。



興味深い話しなのですが、終着だった七戸町には「東北新幹線 八戸〜新青森間延伸開業(2010年12月)」にともない、新幹線の駅が設置されることになっていました。「七戸十和田駅」です。出典②。



古い城下町で、地域の中核だったのにも関わらず、明治に東北本線を青森まで延ばす際に反対運動があったため、東北本線は七戸を避けて東側の野辺地を経由することになった、という経緯がありました。


南部縦貫鉄道が敷設されたのも、物流や人の流れを大きく変えた東北本線との接続を見込んでという点が大きかったようですが、路線の休止(1997年5月)から正式廃止(2002年8月)まで5年の空白があるのは、南部縦貫鉄道を整備した上で、新幹線駅とのアクセス路線にしようという思惑があったから、といわれています。


ただ、営業休止中に路盤や設備の老朽化が想定以上に激しかったことが祟ったようで、結局は残念ながら廃線に至ったようです。


https://newsdig.tbs.co.jp/articles/atv/1151875?display=1


ところで先月、このような記事を見つけました。かつての「七戸駅」跡地に動態保存(実際に車両を動かせる状態での保存)されているレールバスの体験乗車会が行われる、というもの。「青森テレビニュース動画」より。



しかし、このタイトルたるや!

「凶悪な揺れを楽しんで」という、ものすごいパワーワードにびびったのですが、これ、あながちその通りなのでした。


実は営業休止の2ヶ月前(1997年3月)、実際に野辺地から七戸まで乗車することが出来たのでした。その際の写真はどうしても見つからないので恐縮なのですが、とかくものすごい乗り心地だったことはよく覚えています。




レールバスの床下を観察しますと、一軸(ひとつの台車に対して車輪がひとつ)のみ。

一般的な鉄道ではこれが二軸(車輪がふたつ)ですので、乗車していると「ガタン、ゴトン」と感じるのに対して、一軸のレールバスは「ダン、ダン」になる、と聞いていました。


ところが、路盤があまり良くなかったのか縦揺れが増幅されて、走っているさなかはずっと「ディン!ダダダ、ディン!ダダダ…でした。



う〜ん、なんといったらよいのか…

前後ともに、タイヤの空気が抜けている自転車を全速力で漕いでいるような感じ、といいましょうか。本当に身体が跳ね上げられたんです。


車内放送の類もまったく聞こえないほどでしたし…いままでこれほど激しい?鉄道路線に乗ったのは、おそらくはこのレールバスだけです(汗)以上、出典①。



そういったことで、27年振りの野辺地駅に降り立ったわたしにとっては、実に強烈な体験をしたなあと思い出すものでした。出典③。



「七戸駅跡」には約800mもの線路が遺されているというので、これは一度、体験乗車会にも参加してみたいもの。興奮します💦




さて、下り列車の青森ゆきがやって来ました。これに乗車することにします。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「フリー百科事典Wikipedia#南部縦貫鉄道」)

(出典② 同「七戸十和田駅」)

(出典③ 同「野辺地駅」)