みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年3月、期間限定で発売されたJR東日本全線乗り放題の企画乗車券「キュンパス」で、その北東北の未乗線区を乗り鉄しようと旅した際の様子をお送りしています。



旅の第1日目(2024年3月11日)。
空路で仙台入りし、岩手・盛岡で途中下車しながら「東北新幹線」で北上する今日の行程。

あと3線残る、未乗線区のひとつ「大湊線」に乗り、降り立ったのは終着の「大湊駅(青森県むつ市)」です。時刻は5時前になっていました。



早朝に大阪を発ち、仙台から入った東北。
盛岡で途中下車し、八戸から2時間近く経たというので、まる一日かけての道のりでした。

本当に遠くまで来たのだなと感じます。


配線の関係上、本州最北の駅は隣の「下北駅(同)」がそうなのですが、この駅は本州最果ての終着駅です。グーグル地図より。



この先、本州には鉄道路線がないと思うと実に感慨深いものがあります。

ところで、行き止まりになっている線路の向こうにはなだらかな斜面の山々が連なります。


これがあの「恐山」なのでした。
「イタコの口寄せ」があまりにも有名ですが、恐山という山はなく、林立する山々を指すものだとのこと。駅からは近いのですね。

頂上付近には「恐山」の名前の由来になったと言われる「宇曽利山湖(うそりざんこ)」や「三途の川」までもがあるという。最果ての地、さらに鬱蒼とした空を眺めていますと、神がかる伝説にもなんとはなしに合点が行きます。


さて、改札を出ます。明るい駅舎です。



あれこれと観察していますと、おお!列車すべてが載っている時刻表があるではないですか。

旅をしていますと、地方の駅ではよく見かけたものですが、最近ではとんとなくなりました。懐かしいものです。


続いて駅前に出てみます。同行の士と思しき、乗り鉄して来た方が数名居られました。



「てっぺんの終着駅」…一日かけて、冬でも雪などない大阪からはるばるやって来た身としては、雪景色ともども染み入るような言葉です。


では、この「大湊駅」については、全国47都道府県を鉄道駅から詳しく取り上げるシリーズ本「各駅停車全国歴史散歩3 青森県(東奥日報社編・河出書房新社刊 昭和57年1月発行)」より。


昔もいまも軍港の町
大湊

大湊ー中年以上の人たちは、むつ市を知らなくても大湊にはいろいろ思い出を残している人も多いことであろう。かつてこの大湊には旧海軍の大湊鎮守府があり、軍港として有名だった。昭和39年9月、旧大湊・旧田名部(たなぶ)の両町が合併し、県内8番目の市、むつ市として発足した。

大湊は大湊湾に沿って開け、波静かな湾内には大湊港がある。(中略)旧海軍もまた、日露の開戦に備えて水雷団を大湊に設置した。


明治37年に日露戦争が始まると、翌38年には大湊要港部が開設され、その後さらに続く富国強兵政策で静かな北辺の港は、北方警備の一大軍港として着々と整備されていった。

太平洋戦争が始まったころには、この大湊には軍需工場もでき、基地は常時10万人の海軍戦闘員に対する物資補給の兵站庫となっていた。


太平洋戦争開戦前から、大湊湾を中心に下北半島と津軽半島突端部一帯は一大要塞地帯となった。(中略)旧海軍の五大軍港の一つに数えられた大湊も、当然のことながら終戦とともに火が消えたが、代わって、終戦間もなくアメリカの北太平洋艦隊が入港して来た。出典①。


つまり、大湊から日本海軍は消えたが、こんどは米艦隊の基地となったわけで、さらに、わが国自衛隊の発足に伴い昭和28年9月には、旧海軍大湊鎮守府跡に海上自衛隊大湊地方隊の看板が掲げられる、ということになった。

その後も諸施設は年々拡大され、大湊はいままた、わが国北方警備の要となっている。(後略、P102-103)


陸奥湾と太平洋、そして津軽海峡が控えるのが下北半島です。

津軽海峡は公海に当たるので、海外籍を含めて軍艦の類も自由に通行出来ますし、陸奥湾はそこから入り組んだところで、北海道にも近接しています。海上防衛という点では、いまも昔もチョークポイントなんですね。


駅前もあちこち探索をしていますと、なんとも珍しいものを発見しました。


かつてこの駅で使用されていたという、腕木式信号機。ランプは赤青の二色のみで、左側の赤く塗られた腕木が上下することで、信号を現示するというもの。貴重な信号機です。


解説によると、平成10(1998)年9月に信号設備が近代化されるまで、実際に使用されていたのだとのこと。

明治の鉄道開業以来の、簡易な仕組みの信号機ですので、列車本数の少ないローカル線では重宝されたようですが、そんな最近まで残っていたとは。驚きます。


さて、恐山やイタコも気になるところですが、ここから来た道を折り返すことにしています。

どこかしら散策出来ればと思ったのですが、徐々に日も落ちて来ましたので「快速しもきた号」の折り返しになる17時01分発に乗ることにしました。



僅かな滞在でしたが、本州の最果てだという雰囲気を味わえました。行きは超満員でしたので帰りは、車窓を楽しめるでしょうか。

次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「図説日本史通覧」黒田日出男監修・帝国書院編・発行 2015年2月)