みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年3月、期間限定で発売されたJR東日本全線乗り放題の企画乗車券「キュンパス」で、その北東北の未乗線区を乗り鉄しようと旅した際の様子をお送りしています。



旅の第1日目(2024年3月11日)。
空路で仙台入りし、岩手・盛岡で途中下車しながら「東北新幹線」で北上する今日の行程。

「はやぶさ23号」で降り立ったのは「八戸駅(青森県八戸市)」。急ぎ、在来線ホームへと向かいます。接続は10分と良いものでした。


すでにアイドリングしながら待っていたのは「快速しもきた号 大湊ゆき(同むつ市)」。
3線区残るJR東日本未乗線区「大湊線」に八戸から直通してくれるという、絶妙な列車。

そういったこともあってでしょうか、同じ新幹線から下車した人々がこれに押し寄せ、超満員。運良く座れはしましたが、写真の類はまったく撮れないほど。ご容赦くださいm(_ _)m


さて、本州の突端、下北半島を北上するのが「大湊線」ですが、まずは「青い森鉄道」でその始発駅「野辺地駅(のへじえき、同上北郡野辺地町)」へと向かいます。



「青い森鉄道」は先ほど乗車して来た「東北新幹線」が八戸まで延伸した、2002(平成14)年12月に「JR東北本線」から第三セクター化された並行在来線です。先出しして野辺地にて。



並行在来線は県ごとに会社は分けられていて、盛岡から県境の「目時駅(めときえき、同三戸郡三戸町)」までは「IGRいわて銀河鉄道」が運営に当たっています。直通列車があるダイヤはJR時代を踏襲しているのが特徴でしょうか。

野辺地までは40分強「青い森鉄道」を走り、その先はJRとなって「大湊」へと直通するものです。相互乗り入れ列車なんですね。出典①。


では、未乗線区の「大湊線」については、青森県内に入ってもまたも登場、全国47都道府県を鉄道駅から詳しく取り上げているシリーズ本、「各駅停車全国歴史散歩3 青森県(東奥日報社編・河出書房新社刊 昭和57年1月発行)」より。


大湊線・大畑線は下北半島の付け根、国鉄野辺地駅から陸奥湾沿いに大湊まで、さらに半島を横切って津軽海峡側の大畑町までの一市三町を結ぶ。



赤い車体のディーゼルカーが、陸奥湾の波打ち際をガタンゴトンと走る。陸奥湾は四季を通じて波の静かな海である。

この、いわゆる"下北鉄道"は、過疎地帯を走るだけに赤字続きで、このため今、国鉄の赤字廃止路線にリストアップされている。


江戸時代末期から明治にかけ、下北は陸の孤島といわれるほどにさびれていった。

この地方に春先から初夏にかけて吹く「ヤマセ」と呼ばれる冷たい偏東風は、農作物の実りを奪ってしまう。農作物のほかに、これといって特別の産業を持たない下北は、大げさにいえば忘れられた存在になってしまった。


近代になって、下北がクローズアップされたのは明治38年のこと。

この年の暮れ、わが国の北方警備のかなめとして旧海軍の大湊要塞部が開設されたことによる。(中略)要港開設は、付帯したものとしてどうしても鉄道を必要とした。そこで半島九ヶ町村は、要港部のバックアップを得て鉄道敷設の運動を開始した。



大正10年9月、住民待望の鉄道が野辺地〜大湊間に開通。続いて昭和14年12月、大湊〜大畑間の開業をみた。(後略、P92-93)

そうは記載にあるものの、野辺地から50分ほど走った「下北駅(同むつ市)」までは立ち客が出るほどの超満員。まったく意外な感がしたのですが、ローカル線でありながらそのような乗車具合だというのは、まったくありがたいことでしょうね。


まさかり形の下北半島の中央、バス路線が接続しているのが、乗客がどっと降りた「下北駅」なのでした。そこからようやくローカル線らしいのんびりとした雰囲気に車内は変わります。




しかし、雪が深いところですね。どんよりとした空もさることながら、さすがに雪国です。


八戸から1時間40分、起点の野辺地からは50分ほど。終着「大湊駅」に無事到着。
一度は来たかった、本州突端の終着駅です。

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「JTB時刻表 2024年3月号」JTBパブリッシング発行)