みなさんこんにちは。今日の話題です。
さっそくですが、今日は自ブログのトップページから。
鉄道の話題を中心にお送りしている拙ブログですが、その紹介文に実は「心の拠り所・ロックシンガーソングライター松阪晶子さん」というくだりがあります。
松阪晶子(まつざか・しょうこ)さん。
1993(平成5)年6月2日、弱冠21歳にしてシングル「まっすぐに/Darlin'」でメジャーデビューした女性ロックシンガーソングライターです。
わたしは高校1年の時に晶子さんを知り、以来その楽曲を心の拠り所にすること、はや30年。
普段の記事では、取り上げることがあまりないのですが、そういったことで今日6月2日は、晶子さんがメジャーデビューを果たしてから、31年の節目の日。おめでとうございますm(_ _)m
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期待のシンガーソングライター
デビューインタビュー 松阪晶子
シンガーソングライター、松阪晶子。
派手な打ち込みサウンドが幅をきかせる中、彼女はしっとりとした深みのある曲を作り、歌い上げる。デビュー早々卓越したサウンドを作る彼女に、インタビューを試みた。
(撮影 小林基行・取材 中村大輔)
バンド演るのに学校なんてジャマだった
「アンタなんかもうやめちゃいなさいっていうから、思いっきり先生にお茶ぶっかけてやめちゃったの(笑)」
別にそこいらのツッパリネーチャンの武勇伝というわけではない。6月2日、シングルデビューを果たした注目のシンガーソングライター松阪晶子のお話し。
「楽器をもってるだけでもうるさく言われるような学校だったから、スカウトされたことをしばらく内緒にしていたんです。でも、いつのまにか生活指導の先生にバレちゃったんです。
で、ライヴ活動も思いっきりできるし、とか思って高校もあっさりやめちゃった」
新人の若い女性シンガー、しかも正統派のマジな歌詞を自分で作っちゃう人だっていうのに、結構あけすけなところがある。
別に高校中退したからってどうってことはないが、イメージ作りの部分であんまりプラスにならないところは隠すのが常道ってもんだろう。
ところが"先生にお茶ぶっかけちゃった"なんてシレッといっちまうあたり、飾りっ気もなく、シカケっぽさがなくて、話をしていて大変気持ちがよい。ごく普通の21歳の女のコって感じだ。
デビューのキッカケが面白い。
「高校1年のときのヤマハのティーンズミュージックコンテストに出たんです。友だちのお兄さんのバンドに代打で。そのときにスカウトされたんです」
ここまではよくあることだ。ところが…
「スカウトされた場所も、声をかけてくれた人もはじめてのはずなのに以前から分かってたんですよ。予知夢とか、デジャヴとかいうんですが…だからその瞬間、私って音楽でやっていくんだなぁ、って感じたんです」
本人いわく、小学生のときに空間に大きな穴がポッカリ開いて、異次元(?)の世界が見えたという。それからデジャヴ現象が起きるようになったそうだ。実は、インタビューしてる情景も彼女にはどうやらわかっていたらしい。
一度聞いたらクセになる、それが私の歌
彼女の音楽遍歴を聞いてみる。
「両親が民謡の先生なんです。私を民謡歌手にしたかったらしくてテレビは見せてくれないし、ポップスなんかぜんぜん聴かせてくれなかった。小学生のとき、ピンクレディーも知らなかったんですから」
地元の岩手では、かなり有名な民謡一家。
小さいころからテレビにもよく出演していたらしい。
「でも、中学に入った頃にちょうどバンドブームがあって、友だちにレベッカを聴かされたときにガーン、ときちゃった。一気にのめりこんでバンドを始めたんです」
ただ、レベッカと彼女の曲とはかなり隔たりがあるのはなぜだろう。
「ヴァン・ヘイレンとか、よく聴いていたのはハードロックだったんです。でもそのうち何となく自分のなかでナチュラルなものが生まれてきた。いくら音が大きくたってゴチャゴチャ音を出してるだけじゃしょうがないんじゃないかって思うようになったんです。ちょうどバンドを始めたのと同時に曲を作るようになったんですが、自然に出てくるのは静かでメロディアスな曲ばかりなんですよ」
レベッカのコピーバンド、そしてそのバンドとはちょっとかけ離れた曲づくりをしてくうちに代打で出たコンテストでスカウトされることになるのだ。
運命的というか、ラッキーというか、アイドルではなく、ヴォーカリストとして15歳でスカウトされるというのは珍しいことだ。もちろん実力あっての話だが。
このコンテスト以来、高校もやめて音楽活動に専念。ライヴと曲づくりを続けてきたそうだ。
デビューシングル「まっすぐに」の話。
「この曲は、1枚のアルバムのように波のある曲なんです。だから一度聴いてもらえたら、おみそ汁のようにクセになっちゃうと思いますよ」
「おみそ汁」はいい。彼女、若い割には料理が得意そうで仕事先にもお弁当を作っていくらしい。自分の曲を「おみそ汁」と表現するあたり
かなり食べものにはこだわりがあるのかも知れない。
「まっすぐに」という曲から受けるのは、どちらかというと暗めで優等生的な印象。
でも、実際に会ってみると、サッパリと明るくしかも超能力(?)があって、料理の得意な家庭的な側面もある。
このパラレルで、しかも実力充分の松阪晶子。
これからに期待したいニューフェイスだ。
「スコラ」No.284 1993(平成5)年6月22日号 P172-173
いや、晶子さんがデジャヴや予知夢とははじめて知ったのですが(汗)
インタビュアーの方の言葉にもありましたが、これだけ地に足をつけた、それでいて琴線に響く楽曲を拵えられている方なのにも関わらず、あっけからんとされているんですよね。
高校入学直後に、生活指導のおっかない先生にお茶をぶっかけた、というくだりは知ってはいましたが、これには伏線があって、民謡を生業にされているご両親やご家庭のことを揶揄されるかのようなやり取りがあったからと、別の記事のインタビューで読んだことがありました。
3歳になった頃からロウソクの炎のもとで、いくら歌いたくない、体調がすぐれないでも毎日、必ず歌うことを続けて来たという晶子さん。
ただ、結果的にご両親の後を継がず、ロックシンガーソングライターになられたとはいえど、その武勇伝?には、民謡やご両親への敬意があってこそだったのでしょう。
本当に、芯のある意志強い方だったのだろうということを、この「まっすぐに」、さらに続く珠玉の楽曲の中でも、それを端々に感じ取ることが出来るような気がします。
さらに、バラード調の穏やかな楽曲がデビュー曲になったこと。全力で力強く疾走するごとくの楽曲のイメージにわたしは意外な感を抱いていたのですが、なるほど、ロックミュージックに出会って自身の中で見出された、音楽性の延長だったということも。あらたな発見です。
いや、なかなか興味深いインタビューでした。若かりし頃の、晶子さんの姿も素晴らしい。
おつきあいくださりありがとうございました。
今日はこんなところです。