みなさんこんにちは。前回からの続きです。

「北陸新幹線 敦賀〜金沢間開業」と入れ替わり、長年親しまれた在来線特急が姿を消した、敦賀から先の「北陸本線」。


全国的にも稀少な「特急街道」を最後に味わいたいと、大阪発「特急サンダーバード」に乗り、昨年11月に石川・金沢周辺をさまざま日帰り乗り鉄した際の道中記をお送りしています。



ただいま「野町駅(のまちえき、金沢市)」。

この駅始発、県南部の「鶴来駅(つるぎえき、石川県白山市)」に向かう「北陸鉄道(北鉄)石川線」に乗り鉄しようかというところです。


金沢市内中心部から川向うのこの駅は、路線バスとのジャンクションとなってはいるものの、周辺は閑静な住宅街。


見たところ駅前に喫茶店が一軒あるのみで、ターミナル駅特有のにぎやかさはありません。

さらに、他の鉄道路線とも接続がない、いささか中途半端ともいえる場所に位置しています。



加えて、行き止まりの終着駅にも関わらず、カーブを曲がって方角を変えたばかりという線形が、まるでここまでの線路の流れをぶった切ったような設えにも思えて仕方がない、などとも触れてまいりました。グーグル地図より。


趣味的に?どうにも気になりますので、毎度おなじみ「フリー百科事典Wikipedia#野町駅」を参照してみます。



…市中心部から南部に進む幹線道路である国道157号の裏手に位置しており、乗降客の多くは目的地との間で路線バスなどへの乗り継ぎを行っている。繁華街の片町へは、犀川を挟んで、1.0km離れている。


金沢市内線の廃止以前は、金沢市中心部を走る同線が当駅で接続しており、より市街地に近かった白菊町駅は金沢市内線との接続がなかったことから、当駅のほうが利便性が高いため乗り継ぎターミナルとして機能していた。


と、あるではないですか。



この駅がさなから中間駅のようで、かつ、ぽつんとした単独の終着駅になっている理由。


それには「金沢市内線」「白菊町駅(しらぎくちょうえき)」という、この二つがキーワードになっているようです。




まずは「金沢市内線」について。

現在は「浅野川線」、これから乗り鉄する「石川線」を運営する「北陸鉄道(北鉄)」は、かつてそれら郊外路線を結節するとともに、金沢駅から中心部の香林坊、片町や兼六園などの主要地を結ぶ路面電車も走らせていました。出典①。


それが「北陸鉄道金沢市内線」でした。

系統数は6つ、路線総延長は12.5km。郊外線も含め、33もの停留所を設けた路面電車。


金沢市内中心部の重要な交通手段として、市民や観光客に親しまれていたといいます。



これは、1961(昭和36)年の路線網。

その南西端を確認しますと…「野町駅前」停留所があるではないですか。ここまで出典②。


Wikiにあるように、かつてはここ「野町駅」を結節点として、県南部に延びる「石川線」でやって来た乗客が、金沢駅や金沢市内中心部の繁華街へと向かうのに、市内線がその足を担っていたということがわかります。




ところで、我が国の路面電車は、平成も後半に入ってからようやくにして、環境に優しく、交通バリアフリーにも寄与する役割が評価され、その価値が向上して来たように感じます。


大阪市内南部と堺市を結ぶ「阪堺電車」。天王寺駅前にて。2019(令和元)年5月1日撮影。



「LRT(Light Rail Transit)」という、次世代型路面電車として新規開業した宇都宮。



さらに原爆の惨禍から、復興を遂げた広島の路面電車。これは郊外線との直通運転を行う「グリーンムーバー」。最近は各地でも新型車両デビューのニュースも耳目にします。出典③・④。




しかしながら、高度経済成長期に入って都市部では異常なモータリゼーションが進み、路面電車網を持つ都市の多くでは、低速ゆえ慢性的な交通渋滞を引き起こす要因がまさにそれ、と見なされてしまいます。


金沢でも例外ではなく、長年にわたり親しまれた「金沢市内線」は、1967(昭和42)年2月に全廃されてしまいました。


ちょうどこの頃は、他都市でも路面電車の全廃が急ピッチで進められていた時代でした。ここまで出典①。


地下鉄網の整備をその代替の理由にして、大阪(1969年)、神戸(1971年)、横浜(1972年)、名古屋(1974年)、仙台(1976年)、そして京都(1978年)という具合に、姿を消します。




もし、金沢にも路面電車が残されていたらば。

これは、同じ古都・京都でもそうではないかと思うのですが、観光客が次々に押し寄せる状況を鑑みると、路線バスよりはるかに輸送能力があり、こまめに停留所を設けられる。


さらに軌道内を自動車乗り入れ禁止などの工夫をすれば、路面電車でも定時運行は十二分に可能なものです。梅小路公園にて保存の京都市電。2020(令和2)年10月撮影。



余談になりましたが、現存していればこの野町駅界隈も、郊外線と市内線との結節点として大きな役割を果たせていたのでは、と感じます。



ちなみに、金沢市内線の廃線で余剰になった車両は、岐阜市内の「名鉄岐阜市内線」へと譲渡されました。スカーレットに塗り替えられた車体、わたしはこちらの方が見覚えがあります。


岐阜を訪れた時、幾度か乗りましたので懐かしいもの。ただ、こちらも2005(平成17)年に全路線が廃線になってしまいました。出典⑤。



さて、もうひとつのキーワード「白菊町駅」。現在は廃駅になっているというのですが、現在の始発駅「野町駅」からですと、どのあたりになるのでしょうか。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「カラーブックス264 路面電車-消えゆく市民の足-」中田安治著 保育社刊 昭和48年2月初版発行)

(出典②「フリー百科事典Wikipedia#北陸鉄道金沢市内線」)

(出典③「同#宇都宮ライトレール」)

(出典④「同#広島電鉄」)

(出典⑤「同#北陸鉄道モハ2000形電車」)