みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。




さて、長らく続けてまいりましたこのシリーズも、ぼちぼちと終わりにしたいと思います。



街をいちからつくるというニュータウンの歴史と、その過程にあった「大阪万博」という国家的な一大イベント。




ニュータウンは、戦後全国的に建設されたあたらしい形態の居住空間です。

ここまで、それに関わるさまざまな話題を振り返ると、次々にあたらしい街が出来る経過に、重なったのが万博でした。




たった半年間ですが、見たことも経験したこともない、言うなれば希望に溢れた「未来都市」をも千里の人々が身近に経験したことが、他のそれとは大きく異なる経過だったのかも知れません。出典①。



あたらしい街の形成に大きな影響を及ぼした、先の大阪万博。
それゆえに「千里・万博・ニュータウン」という、確固たるイメージが今日まで続いているのだろうなと感じます。さまざま掘り下げてそのあたり、詳しく知ることが出来ました。

「阪急山田駅」北側、会場に直通していた「北急」と立体交差していた、万博期間中と現在。




そして千里万博から55年、来春に迫った「2025年大阪・関西万博(日本国際博覧会)」。


さまざまな課題、意見があることは事実です。

「大阪モノレール 山田駅(同)」にて。




ただ個人的には、半世紀以上前に開催され、見ることが出来なかった、大阪万博には興味あるもの。そして「未来都市」を体験してみたい、という気持ちもあります。「イオンモール鶴見緑地(大阪市鶴見区)」にて。


開幕まであと1年あまり。果たして、どのようなことになるのか。二度目の大阪万博の動向を、注視したいと思います。


長駆、おつきあいくださりありがとうございました。こんなところです。出典同。


(出典①「日本万国博覧会公式記録写真集」日本万国博覧会協会発行 昭和46年10月)