みなさんこんにちは。前回からの続きです。

1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。



当時の国鉄をはじめとした、万博観客輸送のために整備された交通事情について、手元の「国鉄監修 交通公社の時刻表 1970年8月号」からさまざま拾ってみることにいたします。「EXPO70パビリオン」にて。




さて、時刻表にあるこの会場アクセス図には、名神高速から別れて会場の中央口に立ち寄るルートも描かれていました。

万博輸送には鉄道のみならず、この頃から勃興して来た「ハイウェイバス(高速バス)」も加わっていたのでした。名古屋駅からの便です。


現在でも「西日本JRバス」や「JRバス東海」などが運行している名阪間の高速バス。これを万博会場に立ち寄らせるというものなのですが…

なんと、ものすごい頻発具合!
それも本来の目的地である京都駅、大阪駅、神戸駅を差し置き、万博会場に行くものばかり。こういったものを見ると、わくわくします。


この名阪間を結ぶ高速バスは当時、注釈にあるように「国鉄バス」「日本急行バス(日急)」「日本高速バス(日高)」の三社がその運行に当たっていました。

国鉄はいまのJRですので想像がつくのですが、後の二社は聞いたことがない会社名です。


日本初の高速道路「名神高速道路」の最初の区間が開業したのは、1963(昭和38)年7月。

以来、この名神を活用しての高速バス運行に多数の事業者が食指を示すのですが、それらをまとめる合弁会社として設立されたのが、この二社でした。出典①。


「日急」は名鉄(名古屋鉄道)が主となり、京阪神急行電鉄(阪急)や京阪電鉄、近江鉄道が出資したもの。現在は「名古屋観光日急」という観光バス会社。名鉄100系、上前津にて。


「日高」は近鉄が主となり、阪神電鉄や南海電鉄が出資したもの。現在の「名阪近鉄バス」。

なんと、関西大手私鉄がすべて絡んでいたという「ドル箱路線」だったのでした。これははじめて知りました。五位堂検修車庫にて。



帰路の便。往路同様に、次から次へとバスはやって来ます。最終便は国鉄バス「エキスポ特急12号」万国博会場20:30発→名古屋駅22:51着

この時間だと、名古屋まで帰るにしても、新幹線に乗るために新大阪まで出る時間など考慮すると、十二分に利用価値があるというもの。


これら名古屋からの高速バス系統は、万博会場のすぐ近くまで名神高速が延びているからという立地条件の良さがあってゆえのことでした。グーグル地図より。


他にも、パビリオンの標準観覧時間一覧。



日本館やアメリカ館、ソ連館の2時間、というのが気になります。それだけ展示内容が充実していたということでしょうか。



さらに、交通公社が推奨する観覧見本コース。
ただ順調に回れれば、という前提のもの。



しかし、いずこも入場待ちで長蛇の列が延びていたため、目当てのパビリオン入場を諦め、会場内の無料モノレールから外観を観て回る、という人々もたくさん居たそうです。出典②。


続いては新幹線のページ。この頃にはまだ新幹線は「東海道新幹線」しかありませんでした。ですので、タイトルも「新幹線」のみ。

万博に先立つ6年前、「東京オリンピック」開幕に合わせて1964(昭和39)年10月に開業した世界初の高速鉄道、ということは言うまでもありません。「ひかり号」が今日の16両編成になったのは、この万博輸送がきっかけでした。


しかし、時刻表をよく観察していますと、全国に路線が拡大された現在でも新幹線では大原則となっている、ある有名な決まりごとが当てはまらない列車を見つけました。

それは、遠方から万博にやって来る観客の輸送を目的にした、会期中だけの極めて異例のことだったようですが…

次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「nexco西日本」ホームページ)
(出典②「日本万国博覧会公式ガイド」日本万国博覧会公式ガイド作成委員会 昭和45年2月発行)