今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。
会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。企画展展示より。
ただいま「大阪モノレール 万博記念公園駅(同吹田市)」。北急が万博会期中の半年間だけ営業していた「万国博中央口駅(同)」とほぼ同じ場所にある駅です。
その大阪万博からちょうど20年後の1990(平成2)年春に開業した「大阪モノレール」。今日では、万博記念公園への主要なアクセスとして親しまれています。
さて、そのモノレールがトレースする形になった、対になる本題の「万国博中央口駅」は果たしてどのあたりにあったのか。
早速、確かめてみることにします。2017・18(平成29・30)年春に訪問した際の記録より。
いつまでも眺めていられる光景です。迫力があります。行きしなも帰りしなも、ついつい立ち寄ってしまいます。
スロープを降りたところが「万博記念公園 中央口」へ向かうための陸橋の入口。
ここで「中国道」と「中環」を長い陸橋で跨ぎます。モノレールも相まって広々とした空間。
正面奥に「モノレール万博記念公園駅」、真下は「中国道下り線」。頻繁にクルマが行き交う、府内北摂の一大ジャンクションです。
大阪近郊ではこれほどの大規模のものはあまりありませんので、この光景を見るにつけ、万博記念公園にやって来たなあと感じるところ。
さらに拡大。奥に「阪急千里線」と立体交差していた場所のかたわらにあるガスタンクが見えているので、ここで間違いないよう。
とはいえ、現在とはまったく異なる様たるや。あまりの変貌に驚くのですが、結局、対比はこれしか出来ずでした。残念。
ゲートをくぐると「太陽の塔」が、真正面から迎え入れてくれるのがここ。
わたしなどは訪れる度、ほっとする瞬間です。
新大阪から辿って来た、観客輸送メインルートの「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルート、これで無事に万博会場に到着しました。
当時と現在とを対比。本当に大変な変わり様ですね。返す返すも、万博に行きたかったです。
ところで、せっかくやって来た万博記念公園。
手元の参考文献を眺めながら、みなさんと少しばかり万博見物をして行きたいと思います。出典①。
次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「日本万国博覧会公式記録写真集」日本万国博覧会協会発行 昭和46年10月))