みなさんこんにちは。前回からの続きです。1970(昭和45)年開催の「大阪万博」で活躍した、万博を巡る千里の鉄道を中心にした交通機関についての企画展「振り返ろう懐かしの千里万博の時代」訪問記をお送りしています。


今回の企画展展示の主題、千里丘陵で開催された先の「大阪万博」会場に直結していた「北大阪急行電鉄(北急)〜地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」ルートについて、会場の南千里をいったん離れて項を進めています。



会期中に約2000万人以上を運んだという、このメインルート。企画展での写真展示とともに、新大阪駅から実際にこの万博会場へのルートを辿り、引き続きあれこれと掘り下げてみようと思います。企画展展示より。



新大阪を出発し、仮駅として開業した「千里中央駅(大阪府豊中市)」を経て、ともに万博輸送のひとつを担った「阪急千里線」と半年だけの立体交差。グーグル地図より。



万博輸送を目的に、開幕の直前に開業した「北大阪急行電鉄」。なかんずくその会期中のみ営業するために約3.6kmが敷設されたという、異例のアクセス路線として機能した「会場線」。


市内中心部から、終日にわたり相互乗り入れする「地下鉄(現在のOsakaMetro)御堂筋線」に乗ること新大阪から約17分、梅田から約25分。なんばや、天王寺からは約40分。出典①。



おそらくは、多くの人々が見たことのないような、色も形もさまざまなパビリオンや展示館などが立ち並ぶ、まさに未来都市といえる「大阪万博」会場がそこにはありました。


ようやく、終着駅の「万国博中央口駅(同吹田市)」に到着しました。展示より。


現在の位置関係では、このようになります。

万博跡地は、いまは緑豊かな「万博記念公園」に。その「自然文化園 中央ゲート」付近にあった「中央ゲート」と一体化していたという、まさに万博の玄関口に設けられていた駅でした。



ではここからは、手元のこれらの参考書籍からも加えて項を進めてまいります。以下出典①。


「万国博中央口駅」の駅舎は、三角形の大きな屋根が特徴。
その北側に続くのが、会場の「中央ゲート」。


ゲートを抜けると、数々のイベントが行われた「お祭り広場」と「太陽の塔」が目の前に。




駅や線路をはさんだ南側には、平成まで残っていた遊園地「エキスポランド」や「エキスポタワー」がありました。こちらも会場のひとつに当たります。



そういったことで、大阪市内中心部の国鉄や大手私鉄の各ターミナル駅を串刺しにする「御堂筋線」から直通出来、なおかつ、万博会場の真ん前に到着出来たこの駅に、多数の観客が押し寄せたことは容易に想像がつくもの。出典②。



果たして、会期中の半年間に人々が殺到したこの駅とはいったいどのようなものだったのか。さらに探ってみることにいたします。


次回に続きます。
今日はこんなところです。

(出典①「日本万国博覧会公式記念写真集」日本万国博覧会協会発行 昭和46年10月)
(出典②「鉄道模型フェスティバル2023」阪急うめだ本店 パネル展示)