今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。
ここは「近鉄奈良駅」。佳境に入った旅の第2日目(2023年6月14日)の様子です。
念願だった「観光特急 あをによし」の指定を幸いに取ることが出来て、ここからは京都へ向かおうかというところ。
定刻の13時50分、京都に向けて「あをによし」は「近鉄奈良駅」を出発。
しばらくは市街地の真下を地下線で走ります。
ここからは、動画でもどうぞ。
地下線を出た「あをによし」は、ほどなく平城宮跡に差し掛かります。
言わずと知れた、奈良を代表する史跡の一つ。
その宮跡の真ん中を近鉄電車が突き抜けるという、なんとも珍しい光景が展開されるところです。もちろん、車窓からもその独特な景色は十分愉しめます。グーグル地図より。
ではここからは、全国47都道府県をテーマにしたシリーズもの「各駅停車全国歴史散歩30 奈良県(青山茂著 河出書房新社刊 昭和59年5月初版発行 絶版)から拾ってみることにします。
平城宮跡〜いにしえの奈良の都のおもかげ
大和三山(耳成山・畝傍山・香久山。現在の橿原市に位置する)に囲まれた藤原京から、元明天皇が奈良盆地北部(いまの奈良市と大和郡山市)の平城宮に遷都したのは和銅3(710)年。
西に右京、東に左京、左京の東に外京と街区を配し、条坊で碁盤の目のように区画された。規模は東西約9.6km、南北約4.8キロ、藤原京の3.5倍の広さである。
この中央を貫く南北約3.8kmの朱雀大路(幅720メートル)の北側に、天皇の住まいと官庁(二官八省)を含む平城宮(約120ヘクタール)があった。人口約20万の世界的大都市、平城宮に出入りする役人も約1万人を数えたという。
元明、元正、聖武、孝謙、淳仁、称徳、光仁、桓武と、八天皇がここで政務をとった。
「咲く花のにほふがごとき」の天平文化とひきかえに、宮廷には権謀術数が渦巻いて、延暦3(784)年長岡京に遷都する。
宮跡は水田となり、どの場所かもわからないままを迎えるのである。(P30・32)
現在では、光芒とした広大なところをただひたすら駆け抜けるので、あらためてそれを知るともの悲しいような気持ちになりますが。
ここがたくさんの人々が暮らした、当時は世界的に見ても稀有な大都市だったとは、想像がつきません。
ところで、平城宮や天平文化の栄華を描いた様子には、日本最古の歌集「万葉集」に収録されている、この短歌が有名です。
「青丹(あをに)よし 寧楽(なら)の都は咲く花の 匂ふが如く 今さかりなり」
(意訳:奈良の都は、花(注釈:梅の花)が咲き乱れてよい香りでいっぱいになる頃のように、今、たいそう盛んであることだ)
いま乗車している「あをによし」はもちろん、これから採られた列車名称です。
次回に続きます。
今日はこんなところです。