みなさんこんにちは。前回からの続きです。
今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。

旅の第2日目(2023年6月14日)も、いよいよ佳境に入って参りました。
「生駒駅(いこまえき、奈良県生駒市)」から乗り込んだ、奈良ゆき急行の車中で見つけた「観光特急 あをによし」の車内吊り。
いつも指をくわえてばかりだった、昨春にデビューした人気列車。幸運なことに車中で、奈良から京都へ向かうこの列車の指定を取ることが出来ました。

年甲斐もなく?わくわくしながら到着したのは「あをによし」始発の「近鉄奈良駅」。生駒からは15分ほどでしたが、広々とした地下ホームですでに発車待ちをしていました。
では乗車前に、この4両編成を観察してみることにします。

おお〜、やはりカッコいいですね。といいますか、濃紫色とは他にないようなすこぶるしぶい塗装です。以前に幾度か見かけたのは地上区間でしたので、より深い色彩に感じられます。
ではここからは、毎度おなじみ「フリー百科事典Wikipedia#近鉄12000系電車」の項より。
車体色は奈良への観光特急という用途から、平安時代に紫色が高貴な色とされたことを意識し、紫檀メタリックと呼ばれる紫系の塗色に金の差し色…
なるほど、見た目通り高貴な色だった訳です。
ところで、その平安時代から200年以上遡りますが、603(推古天皇11)年に制定されたと言われる「冠位十二階」と呼ばれる冠位制度のことを、このエピソードからふと思い出しました。聖徳太子(593-622)の数ある業績のひとつだと、歴史の授業で必ず出てくるあれです。
最高位「大徳(だいとく)」と、次位「小徳(しょうとく)」が用いる冠色は濃紫、薄紫(以降は大仁=だいにん→濃青・小仁=しょうにん→薄青、大礼=だいらい→濃赤・小礼=しょうらい→薄赤…と続く)時代を経て変遷します。出典①。
当時は、大陸から仏教が伝来し間もない頃。その影響を色濃く受け、紫色が高貴なものとされたのは、平安時代以前からの長き伝統だったのでしょうね。同。


さらに、こんなこともついでに思い出してしまいました。別の日に通り掛かった「OsakaMetro谷町九丁目駅(大阪市天王寺区)」。
乗り換えの「近鉄大阪上本町駅」や「近鉄百貨店上本町店」へつながる地下通路です。
この駅には「谷町線」「千日前線」の2路線が乗り入れているのですが、通路の壁面で紹介されていたのは、谷町線で活躍した歴代の車両。ちょっと覗いて行くことにいたします。

古い車両でクーラーもないため、夏場は窓が全開にされ、走行中は車内放送も聞こえぬほどの爆音だったのが大好きでした。懐かしいです。
それはさておき、歴代谷町線の車両がまとっていたのは、他ならぬ「紫色」。
紫色は谷町線のラインカラーですが、各路線のそれを決める時、路線が走る「谷町筋」、殊にこの「谷町九丁目駅」を境に寺院が密集していることから、最高位のお坊さんが着用する衣の色から採られたそうです。その衣は紫色。グーグル地図より。
ついでというとなんですが「谷町線」以外のラインカラーの由来は、以下のように定義されているといいます。「OsakaMetroホームページ」より。
「御堂筋線→赤 大阪市内の大動脈(御堂筋)」
「四つ橋線→青 動脈の御堂筋線に対して静脈」
「中央線→緑 沿線の大阪城公園」
「千日前線→ピンク 千日前は繁華街のネオン」
「堺筋線→茶 相互乗り入れしている阪急電車」
「長堀鶴見緑地線→萌黄 沿線で開催された国際花と緑の博覧会=花の万博のイメージカラー」
「今里筋線→オレンジ 南北軸の路線では日の出の到来がいちばん早い東側」
「ニュートラム(南港ポートタウン線)→水色 湾岸地のニュータウンが沿線」だそうです。
まったく余談になり恐縮なのですが、そのようなエピソードがまったく関係のなさそうな「鉄道」というフィルターを通じて繋がるあたり、大変ぞくぞくします(汗)
長くなりましたので、次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「図説日本史通覧」帝国書院編集・発行 唐杉素彦編集協力 黒田日出男監修 2014年2月)