恒例の「京阪電車2024カレンダー」をゲットする!後編 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。




毎年、10月1日から発売される「京阪電車カレンダー」。この時期、楽しみにしているものですが、その中身をみなさんとご一緒に拝見しようかということをしています。


急勾配を下り、門真市駅の通過線に滑り込む、京都ゆきの快速急行が12月。最後尾の屋根まであまねく見えるとは、なかなかおもしろいアングルですが…


門真市駅から大阪寄りにひとつ隣の、西三荘駅から下り勾配に差し掛かった、このあたりを捉えたものでした。ホームからでしょうか。



下り勾配を降り切ったところを、反対側から。「府道大阪中央環状線(中環)」と「近畿自動車道(近畿道)」、さらに「大阪モノレール」が並走する高架があるため、京阪の高架複々線はここだけ地平に降りています。


アップダウンとカーブが連続するのはやはり京阪電車らしいものだと感じますが、毎年、そういった独特の、沿線風景が活かされているなあとも感心します。ブログ主撮影。


巻末には、これも毎年楽しみな特集グラビア。「8000系」と「鴨東線(おうとうせん)開業」35周年についてのもの。

1989(平成元)年10月、洛北や比叡山方面へのアクセスを大幅に改善することになった「鴨東線」開業に合わせ導入されたのが、現在も京阪特急の顔として活躍する「8000系」でした。




ところで、ここは京阪電車初の鉄道ミュージアム「SANZEN-HIROBA」。沿線最大のショッピングモール「くずはモール」にある施設です。



その常設パネル展示から、さらに項を進めます。京阪電車は長年、鴨川沿いに地上を走った三条駅(同東山区)が京都方の終着駅でした。



沿線でも屈指の風情ある車窓が展開されるところでしたが、1987(昭和62)年5月、鴨川沿いの地上線区間は、この駅まで地下化されます。


さらにその2年後の1989(平成元)年、三条から北へ出町柳まで開業したのが「鴨東線」。同駅で叡山電車に接続を果たします。



市内からはバス連絡を要すなど、それまで行き来が不便だった洛北の貴船・鞍馬・大原・比叡山方面へのアクセスを、飛躍的に向上させる原動力となりました。


その象徴となったのが「8000系」でした。

先代の「3000系」同様にテレビカーを連結した他、当時としては画期的だった、カード式公衆電話も車内に設置。大きい窓で明るい雰囲気、かつ、豪華な設備の車両に乗客の人気は集中。



もともとは「3000系」を補完するため1編成のみ導入予定だったものを、急遽、その大部分を「8000系」に置き換えたほど絶大な人気を博したことが語り草になっています。


京阪特急が大阪市内から直通して、自然豊かな洛北や比叡山へ気軽に行けるとは、もはや当たり前になっていることではありますが。

しかし、もうそんなに経つのですね。2020(令和2)年9月、出町柳にて。


ところで、このような記事を見つけました。

朝日大阪朝刊 2023(令和5)年10月1日付け 29面(大阪東部・河内地域面)より。



くだんの「SANZEN-HIROBA」で、これまで発売された「京阪電車カレンダー」をテーマにした期間限定展が行われている、というもの。

1981(昭和56)年に発売が開始された「京阪電車カレンダー」。当時は一部500円でした。



期間中には、カレンダーの写真を担当されていたカメラマン・松本洋一さんの作品展や、トークショーなども予定されているとのこと。

これはぜひ、訪れてみたいもの。


私事ですが、このカレンダーの発売がはじまった幼少の頃から、枚方在住の亡き祖父が、これを毎年プレゼントしてくれたという思い出が浮かんで来ます。

わたしの京阪電車好きをいちばん理解してくれていた、社交的で優しい祖父との思い出のひとつには、この「京阪電車カレンダー」があることを毎年この時期思い返します。余談でした。


今年も、期待以上の素晴らしい写真ばかりの「京阪電車カレンダー」でした。

これを毎月繰って、季節を日々愛でるのがいまから楽しみです。


今日はこんなところです。