78回目の鎮魂の日と「現代語訳終戦の詔勅」 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。今日の話題です。



関西全域を「台風7号」が直撃した昨日。
本体は府の南部をかすめたようですが、おととい未明から大変な風雨が続いた一日でした。



同日、NHK「全国戦没者追悼式」中継より。8月15日、日本人にとっては決して忘れてはならない、先の大戦の終戦の日を迎えました。

親でさえ戦争を経験していない世代ですが、毎年気が引き締まる荘厳な思いになる瞬間です。



日本武道館に、天皇皇后両陛下のご臨席は例年通りのことです。



正午の時報に合わせ、参列者全員が1分間の黙祷を戦没者に捧げます。厳粛な瞬間です。



出席者の大半が、戦没者の子や孫の世代になられていると、報道でも繰り返されていました。

わたしの小さい頃は、それこそ身の回りに戦争経験者がたくさん居られましたから、年月の経過というものは容赦ないのだな、と感じます。


ところで昨日、ヤフーのトップページを開きますと…台風情報が大きく取り扱われている中、このような記事を見つけました。

「玉音放送(ぎょくおんほうそう)」を現代語訳するとどうなるのか…という特集記事。

「玉音放送」は昨日の「全国戦没者追悼式」が挙行されたちょうど78年前の同じ時間、つまり、1945(昭和20)年8月15日の正午からラジオで放送された、昭和天皇による「終戦の詔勅」(詔勅とは「天皇の意思を直接、表現した文章」)を指します。


朕深く世界の大勢と 帝国の現状とに鑑み 非常の措置を以って時局を収拾せんと欲し ここに忠良なる汝臣民に告ぐ 朕は帝国政府をして 米英支蘇四国に対し その共同宣言を受諾する旨通告せしめたり(アメリカ・イギリス・中国・ソビエトへポツダム宣言を受諾する旨を政府に通告させた、つまり、無条件降伏を受け入れた)

という、この詔勅の主意は文面の冒頭に述べられているものですが、それに続く中の、

思うに今後帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず 汝臣民の衷情も朕よく是れを知る 然れども朕は時運の赴く所 堪え難きを堪へ 忍び難きを忍び 以って万世の為に太平を開かんと欲す のくだりが今日では、あまりに有名です。


先の大戦についての歴史的な判断というものは非常にさまざまな考え、意見があるものです。

終戦から30年以上経過してから生まれたわたしのような人間が軽々しく、どうこう申し上げることではないのは十二分に承知をしています。



しかし戦争で、国内外の日本人、300万人以上もの尊い命が喪われた…これは紛れもない事実です。天皇陛下のお言葉に触れるにつけ、このことが毎年、痛切に胸に刻まれることです。



平和を祈念し、希求することは言うまでもなくとても大切で、かけがえのないこと。しかし、それを実現させることは難しいこと。

その難しいことを、いまを生きる我々世代がどのようにして成し遂げるのか。


毎年、深く考えさせられる8月15日です。

今日はこんなところです。