「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡る近鉄沿線道中記2023〜その18 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年6月に限定で発売された「近鉄全線2日間フリーきっぷ」で巡った、近鉄沿線乗り鉄道中記をお送りしています。



「ナローゲージ」という、いまや国内に3社・4路線しか存在しない貴重な、軌道幅が762mmの車両も小規模な規格の鉄道。


そのうちの2路線「内部線(うつべせん)」・「八王子線」を有する「四日市あすなろう鉄道」を乗り鉄しているところです。



終着の「内部駅」に到着しました。

市域の広い四日市市の南東部に位置する駅ですが、南隣の鈴鹿市はすぐ近くです。



この駅をあれこれと探索しているのですが、気になるのは線路の終端部。

車両基地が併設されている関係で、幾つかある側線が集約されたところに、簡易な車止め。



しかしその先には、数十メートルかにわたって線路が続いているのがわかります。これは見逃せない、となるのはわたしのさが、とも言いましょうか💦



それでは、この「内部駅」「内部線」については…全国47都道府県をテーマにしたシリーズもの「各駅停車全国歴史散歩25 三重県」(中日新聞三重総局編 河出書房新社刊 昭和56年10月初版発行 絶版)から拾ってみることにします(発行当時は「近鉄内部線」でした)。



伝説の“杖衝坂“

内部


昭和3年の車両が、まだ現役

終着駅。この言葉には、ドラマを感じさせるなにかがある。近鉄内部駅は、四日市ー内部間をつなぐ内部線の終着駅。

内部線は近鉄名古屋線からちょっぴり延びた、営業距離わずか5.7kmの支線。線路の行き止まりを示す車止めは、生い茂る雑草に包まれてそれなりに終着駅のムードを醸し出している。


内部駅を発着する電車は一日86本。小さな支線の駅としてはかなりの本数だ。沿線に県立四日市南高校、海星高校なとがあるためで朝のラッシュ時には4両編成の電車を走らせている。



しかし、昼間はマッチ箱のような小型電車が一両だけで走る。

内部線は、いまや全国的にも珍しくなった特殊狭軌の鉄道(ナローゲージ)で、線路と線路の間はわずか762mm。広軌(注釈:ここでは標準軌、1435mm。新幹線や関西私鉄が主に採用)の名古屋線のほぼ半分だ。



このため電車の高さ、プラットホームも低く、線路からひょいとジャンプすればホームに上がれるような気安さだ。昭和3年製造のクラシックカーならぬクラシック電車が走り、珍しがられていたが、同57年に新車両に切りかわった。


しかし、今でも特殊狭軌は売り物?で、春・夏休みなどは父兄同伴の小学生も混じって、鉄道マニアでけっこうにぎわう。出典①。



駅の話では、昼間の利用者は老人と子供連れの主婦がほとんどだという。

「バスに比べて横揺れが少なく、安心して乗っていられる」。改札口で駅員とあいさつをかわしながら乗り込んで来た老人は、ローカル電車の魅力をこう語った。(P120)



ところで、朝に四日市の駅で頂いた路線案内図を確認してみるのですが…出典②。



数十メートル先へ延びていた線路は、防音壁で遮られている「国道1号」と「旧東海道」を越えて、数百メートル先に突き当たる「内部川」から川砂利を搬出するためのものなのでした。


この種の川砂利採取は、環境保全や河川の氾濫防止のため、比較的早い時期に取りやめられたケースが、全国的に多く見られるものです。



しかし、その先に…

なんとも気になる「鈴鹿支線」という文字が。



先ほど訪問した、日永からひと駅だけ分岐する「八王子線」に対して、本線筋に当たるのがこの「内部線」。起点の四日市駅から、旧東海道と「国道1号」に沿っていることがわかります。




明治維新以前では、江戸と京、大坂とを結ぶ最重要の街道であった「旧東海道」。沿道のにぎわいは言うまでもないものだったのでしょう。

「四日市宿」は、東海道五十三次43番目の宿場町でした。


それに沿うように鉄道を敷設したということは、すでに繁栄していた沿線の需要を拾おうとする目論見があったのでしょうか。



そういったことで、内部で行きどまりになっているこの路線も、さらに先、鈴鹿方面へ延伸させる計画があったようです。続きます。

…大正2年に部分開通した内部線が全線開通したのが大正11年。当時は内部駅が終点になる予定ではなかった。


同駅から二手に分かれ、山手は鈴鹿市深井沢、海岸は同市神戸まで延長されるはずだったが、当時の三重鉄道に資本力がなく、鈴鹿川の橋梁建設が無理となったため、せっかく敷設許可を受けながら延長は実現しなかったという。(P120)



書の記載によると、後者の鈴鹿市神戸(かんべ)とは、現在の「近鉄鈴鹿線 鈴鹿市駅」付近。かつて「神戸城」が鎮座していた街です。


さらに内部付近で「旧東海道」から離れ、神戸を通るこのルートは「伊勢街道(参宮街道)」と呼ばれる一部だそうで、その名称通り、お伊勢参りの人々が行き交った街道筋でした。

くだんの「鈴鹿川」と「JR関西本線」を越え、直線距離でおよそ4〜5kmほど。



明治に入り、古くから港湾設備が整備されていた四日市と、城下街として栄えたこことを直結しようとする意図があったのでしょうか。


現在、そちらへのアクセスとしては「伊勢若松駅」から分岐する「近鉄鈴鹿線」の他、伊勢・南紀方面へ特急や快速が短絡線として走る、第三セクター「伊勢鉄道」が主たるものです。



ただし、不思議なのは前者、山手への計画。

鈴鹿市深井沢(ふかいざわ)という地を地図上で追ってみたのですが…出典①。





このあたり。現在では「東名阪自動車道 鈴鹿インターチェンジ」や、北側には「新名神高速道路 鈴鹿パーキングエリア」も近いところです。



山あいに入ろうかというところですが、周辺に目立って路線を延伸させる需要が見込めそうなもの、なにかしらの大きな施設や、著名な寺社仏閣などがあったり、かつての街道筋だったりというようにも見られません。



ひょっとしたら、深井沢からも先に路線を延ばす手始めだったのか…などと妄想してしまいます。結局はどちらも延伸ならず、現在の「内部駅」が終着ということに変わりはありません。



さらにこの内部周辺には、朝からあちこち探索している四日市、それが属する「三重県」の名称の由来になったと言われる伝承が残される場所があるといいます。先ほどの「各駅停車全国歴史散歩」より。


一気に、話しのスケールが大きくなります。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「キャンブックス 近鉄電車」三好好三著 JTBパブリッシング発行 2016年10月1日初版)

(出典②「四日市あすなろう鉄道 乗って歩いて再発見マップ」特定非営利活動法人四日市の交通と街づくりを考える会企画・編集 四日市市発行 2023年3月)