みなさんこんにちは。前回からの続きです。


久々の家族旅行で、3月なかばに「箱根・小田原」を訪れた道中記をお送りしています。
あれこれ語りながらになりますが、宜しければどうぞお付き合いください。



旅の第1日目(2023年3月10日)。「箱根湯本駅(神奈川県足柄下郡箱根町)」から登山電車に乗り、険しい箱根山中を登っています。

運良く乗れたのは、運転台真後ろのかぶりつき席。3つのスイッチバックも、十二分に楽しめました。家族放ったらかしです(苦笑)


ついつい、運転手さんが使用している時刻表(スタフ)に目が行きます。


ATS(自動列車停止装置)・速度注意!とあるのは、急勾配が連続する路線ならではです。ブレーキの扱いや、速度制御というのには、かなり気を遣われての運転なのだろうと感じます。



さらに、列車の行き違いが殆どの駅であることに、少しく驚きます。山岳路線と言えど、やはり乗客は多いのですね。「宮ノ下(同)」でも箱根湯本ゆきと行き違い、発車。



しばらく林の中を進みますと、急カーブの踏切に差し掛かります。あれ、この特徴ある踏切、どこかで見たことがあります。



大阪人ですが、毎年楽しみに拝見している「箱根駅伝」の中継。山登り・山下りの5・6区で登場するのが、この大平台のヘアピンカーブ。



その近くにあるのが、この「小涌谷の踏切」でした。

大丈夫かなと心配しながら観ているのですが、選手と、列車の通過が重ならないように調整をされているのだとのこと。今年の中継より。


くだんの踏切を渡ると「小涌谷駅(同)」に到着。こじんまりとしていますが、こぎれいな駅です。


駅周辺を地図で確認。見事な?カーブにはさまれた隘地にあることがわかります。グーグル地図より。



ところで、先日から触れておりますが、箱根旅行や登山電車に乗るのは、36年振りのわたし。

当時、この小田原駅まで乗り入れていた登山電車にここから乗ったのは覚えているのですが…


この「小涌谷駅」で下車、駅に近い旅館に一泊したようでした。1987(昭和62)年8月3日、小学3年生のブログ主撮影。



そして、翌4日。旅館を後にして「小涌谷駅」に戻って来ました。進入するのは「強羅ゆき」。デビューしたばかりの「ベルニナ号」です。

旅館から駅への道中、霧がえらいかかっていたのを、これを見て思い出しました。


確か、ここから強羅駅へ向かったはずです。ただ、撮影していたのは、箱根湯本方面のホーム。いまとなっては、なぜかはわかりませんが…



強羅ゆきに乗っているので、いまはこの角度からですね。ここでも行き違いの後に発車。


遥か彼方の昔のことですが、断片的に思い出して来ました。昭和は遠くなりにけり(笑)



さてここまで、急勾配や急カーブ、トンネルをそろりそろりと走って来た登山電車。

ここで、はじめて速度を上げ走り出します。
ただし、それでも30〜35km/hほど。


帰宅してから地図で確認しますと、この区間、登山電車では貴重な?直線区間なのでした。




あっと言う間の直線区間を走り抜けたところで「彫刻の森駅(同)」に到着。


わたしたちはここで下車します。標高は539m。


標高96mの箱根湯本からは、実に440mあまりも登って来ました。すごいことです。

次回に続きます。
今日はこんなところです。