みなさんこんにちは。前回からの続きです。

昨年10月から放送がはじまった、NHK朝の連続テレビ小説「舞いあがれ!」。
長崎・五島列島とともに、おらが街・東大阪がその舞台になっている作品です。
このドラマ、気づいたこと、印象的だったことなどを毎週、取り上げて述べてみようという企みを、第1週からお送りしています。
先週、第18週「親子の心」前後編はこちら↑
読売大阪朝刊特別版「よみほっと」2023(令和5)年2月5日付け 7面より。
それでは、第19週「告白」編を、前後編に分けて振り返ることにいたします。

主人公・岩倉舞(福原遥さん)の幼馴染、貴司(赤楚衛二さん)、久留美(乃木坂46・山下美月さん)に大きな出来事が続いた、先週(第18週)は「親子の心」編。
ただ、金曜日放送の最後で、大変なことが起こりそうな描写になっていました。


貴司の両親、勝(山口智充さん)と雪乃(くわばたりえさん)が、ふと見上げた店のテレビ。

なんと、舞の兄・悠人(関ジャニ∞・横山裕さん)がワイドショーに。それも、インサイダー取引疑惑だと、報じるものではないですか。


「インサイダー取引」…聞いたことはありますが、投資についてはまるで素人のわたしですので、劇中の、浅越ゴエさんが司会の番組を観ながら、確認してみることにします。

世間一般に未公開の情報を知っている立場を利用し、値上がりが見込まれる株式を予め購入しておき、売り抜けることで多額の利益を得る。
そうなると、一部の投資家だけが大儲けすることになるので、公平性や信頼性が大きく損なわれる。事実とすると、これは大変なことだ、というところからはじまった、当週でした。

ところで、この番組「SHIKKURI」なる番組だとわかります。NHKでなく、民放のようです。

どうでも良いのですが、元ネタは朝の8時から放送されている、これでしょうか。朝日大阪朝刊 2023(令和5)年2月7日付け 35面。
実はこれ「舞いあがれ!」の裏番組だという…
いきなり、ワイドショーの設えからはじまったので、チャンネルを間違えたのかとびっくりしたのですが。ホンマに…
さらに元ネタになったと思われる、読売テレビ(日本テレビ系列)のこの番組。気になるので?確認のため観てみます。2月7日放送より。
フィリピンに収監されている強盗団の話題でしたが、なんか、黄色がなんとなく似ているような、似ていないような。余談でした。


本題に戻ります。
ワイドショーの放送で「IWAKURA」には、マスコミや取り引き先から問い合わせが殺到。
普段から、母・めぐみ(永作博美さん)からの電話は無視するものの、舞からの電話には必ず出ていた悠人。それにもまったく反応がなし。
面倒くさい、うっとおしいと言いながら、音信は舞を通じてのみでしたから、これはちょっと心配になります。

全従業員にも、本人と連絡がつかないために、どうにも説明が出来ないめぐみと舞。


そんな中で、IWAKURAを個人工場から支える結城(葵揚さん)がこのひと言。
ここで、はっと気がついたのですが、先代社長の浩太(高橋克典さん)が急逝した後、苦境に陥った工場を投資家として買い取ってくれたのは、他でもない悠人なのでした。第16週より。
ただ先週の放送で、悠人がその経営権をめぐみに還す、という場面がありました。あまりにも唐突なことでしたので、これはなにかあるな、と思っていたのですが。



しかし、従業員たちの反応というものが、実に頼もしいもの。これには、安心しました。
以前からの記事でも触れましたが、亡き浩太やめぐみが普段から、従業員にどう接しているのかが良くわかる場面でした。
笑ろてしまったのが、女性職人の土屋(二宮星さん)のこの言葉。「カーネーション」に子役で出演されていた方ですが、これは、別の意味で頼りになりそうです(苦笑)



舞が帰宅すると、自宅の前にもマスコミが張り込んでいるという事態に。止むなく、貴司が営む「古書デラシネ」に、舞は立ち寄ります。

貴司は、短歌を創作するきっかけを作ってくれた詩人の八木(ピース・又吉直樹さん)から、この「デラシネ」を譲り受け、創作活動に勤しむという日々に落ち着いていました。
舞は足繁くその貴司の元へと通い、互いにいろんな話しをする、というシーンがここ最近になり増えて来ました。ですので、幼馴染という関係からふたりの進展を期待しているのですが。

ところで今週、悠人の行方不明の中で個人的に気になったのが、舞のこの言葉でした。

この「舞いあがれ!」という作品は、小学3年生だった舞が、頻繁に原因不明の発熱を繰り返す、というところからはじまりました。1994(平成6)年のこと。第1週より。

母・めぐみが、長崎・五島列島に住む祖母・祥子(高畑淳子さん)に助けを求めた結果、かの地で逞しく成長することが出来ました。


その一方、中学受験を控えていた悠人(幼少期・海老原幸穏さん)へというと、その舞にかかりきりで、任され切りだった描写ばかりだったように感じます。


さらに、工場の経営が厳しくなったことから、私立ではなく、公立の中学校に進学するのはどうか?と、父・浩太(高橋克典さん)から切り出されたことがありました。

幸いそれは回避されたのですが、仕方がなかったことなのかも知れませんが、目標を立てている小学生に突然にそう持ち出されてもなと、同情したような記憶があります。
悠人はいつからか両親に期待せず、自分で自分のことを、一人でやらざるを得なくなっていたのではないか。舞の言う「一人で何でも出来た」のではなく、そうせざるを得なかったのかも知れません。
それ以来、誰にも頼ることのない、頼らなくてよい人生を、知識をひたすら積み上げ、研鑽することで作り上げていたのでしょう。


このシーンをも思い出しました。経営が悪化した工場を、いち早く手放す方法が現状では最善だと、浩太に話す場面。
幼少期の両親(特に父・浩太)への印象というものがいつしか、歩み寄れないほどのわだかまりになり、どこまでも噛み合わぬ、大きな見解の相違になっていたのだろう、と感じます。

結果、この口論を最後に、悠人は浩太と死に別れてしまったのでした。第14週より。

ただし先ほどの、舞の電話には必ず出る、というエピソードからは、舞はやはりかわいい妹なのだろうと思えます。第2週より。
舞が、それを意識しているのかどうかはわかりませんが、心配しているのは、おそらくは誰かに助けを求めたことがない兄が、助けを求められているのか、ということだったのですが…

岩倉家近くの公園で、雨に打たれて倒れている悠人を、久留美の父・佳晴(松尾諭さん)が発見。そのまま、自宅へ連れて帰ります。


低体温症になっていた悠人を、帰宅した久留美が必死に看病したおかげで、幸いにも命を取り留めます。悠人は、めぐみや舞に会うために、ひっそり帰阪していたのでした。


ただ、駆けつけためぐみと舞に、悠人はこう語ります。


それを聞いていた久留美が、悠人を諭します。
先週、勤務先の医師と婚約したものの、家柄や父のことを理由にされて破談になり、つらい気持ちのままであろう久留美。


思えば、実業団のラグビー選手だった父が、怪我で退団して以来、仕事が続かず幼少から、その父を世話するという苦労をして来た久留美。
ひょっとすると、久留美自身のこれまでから、自ずから出て来た気持ちなのかも知れません。
それを表には決して出さなかった久留美の言葉ですから、説得力があります。



久しぶりに、実家で家族が揃った翌日。
舞の言葉に、悠人は神妙に聞き入ります。このような悠人は、見たことがありません。

そして舞は、浩太が生前にしたためていた「歩みノート」を手渡します。ねじのアイディアのみならず、日常の気がついたことを、なんでも記していたもの、と語られていました。





金儲けすることだけが目的なのか。それが夢なのか。いや、そんなことを夢とは言えない、と生前の浩太は、悠人が帰省する度、口論になっていました。
ただ、浩太は悠人の努力と才覚を、しっかりと評価してくれていたのでした。



ただ、財を為すことが夢なのではなく、そこをスタートにはじめる「本当の夢」というものが悠人にもあるのだろう。浩太は、浩太なりに悠人に歩み寄ろうとしてくれていたのでした。

浩太の夢は、自身の工場で製造した部品を航空機に搭載すること。その自分の夢を捨ててしまっては、いまはわからない、悠人の夢を理解することなど出来ないだろう。
日付けから浩太が急逝する数ヶ月前に記したもの、とわかるのですが、工場の経営がいちばん厳しかった頃。悠人は舞から詳しく経緯を聞いて、その苦境を知っていました。第13週より。

悠人が、反目し合っていた浩太の真意を、ついに知った瞬間でした。浩太の死から、実に4年が経ってのことでした。


悠人にとって、失ったもの、取り戻すことが出来ないことが、実はあまりにも大きなものだった。それは浩太、カリスマ投資家としての自身でも、でした。




ただ、それでも良かったのだろうと感じます。
めぐみや、舞が居るのですから。理解してくれる人が、支えてくれる人が居るのですから。
これほど大切なことというものは、なにごとにも変えられぬことなのだろうと、半泣きで観ていたところです。お恥ずかしながら(泣)

さらに翌日。公園で倒れていたところを助けてくれた、望月親子へ挨拶しに悠人は向かいます。この後、東京の会社に戻るのだと。



ベタな話しなのかも知れませんが、作中で、久留美に頼ることの多い佳晴の、この言葉。
佳晴は佳晴で、定職に就かずと自嘲しているものの、人に話せない苦労があるのでしょうし、久留美は久留美で、なんやかんや言いながらその苦労と、努力をしっかり理解している。

佳晴がそう言うと、説得力があります。ちゃんと生きている。それだけで、いいではないか。


助けを求めるのも、話し合うのも、歩み寄るのも、自身を吐露するのも、実は大変な勇気が要ること。そうして、互いに支いながら生きる。これは当作の、秘められたテーマではないかとわたしは思えます。
悠人は、そうしても良いのだと気づいたのか、なにか憑き物が除かれたようにも見えます。

一大事ではあったでしょうが、それに気づいただけでも、悠人は良かったのかも知れません。
それも、ルールを破ったことについて、きちんと責任を取るのだと。


悠人は結果、司直の手によりこのような判決を受けたと、さだまさしさんのナレーション。
悠人の今後、というものが大変気になるところです。ドラマと言えどですが、罪を償って、再起してほしいと願います。
希望を言うと、めぐみや舞と「IWAKURA」に関わってほしいですが。
次回に続きます。
今日はこんなところです。