阪急うめだ本店「鉄道模型フェスティバル2022」訪問記〜その23 | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。



先月、8日まで「阪急百貨店うめだ本店(大阪市北区)」で開催されていた「鉄道模型フェスティバル」を訪問した際の様子を、シリーズでお送りしています。

今年のテーマは、阪急最古の路線「宝塚線」。
その沿線の各駅を捉えた懐かしい写真パネル展示を、順に拝見しているところです。


「宝塚駅(兵庫県宝塚市)」から、くだんの「宝塚線」沿線を、ターミナルの「大阪梅田」へと向かい進んでいます。グーグル地図より。


「豊中駅(大阪府豊中市)」の様子。
所在地の豊中市は府内で4番目の人口、40万弱を擁するという、大変繁華なところです。

現在では、立派な高架駅へと変貌しているこの駅を含む区間ですが、それらが完成したのは平成に入ってからのこと。この駅には幾度か乗り降りしたことがありますので、隔世の感です。


「服部天神駅(同)」。明治の開業以来、長らく「服部駅」と名乗っていましたが、近隣のお社にちなみ、平成に入って改称されました。
関西では「足の神様」として有名です。

「宝塚線」はこのあたり高架線と、昔ながらの地上線が入り交じる区間ですが、いまだ高架でないこの駅の佇まいも、写真の頃とは、さほど変わらぬように感じます。



ところで、先日の記事で「路面電車規格で開業した宝塚線」ということに触れました。
開業した明治期、許認可を出す国の考え方は「電車=路面電車(市内電車)」、「蒸気機関車が牽く客車列車=郊外・長距離列車」だったようです。

大都市内の交通機関として、いわゆる「チンチン電車」はすでに幾つかあったものの、当時最先端だった「電気」を活用したい資本家はその考え方を逆手に取り、この頃に次々と路面電車規格の都市間鉄道を開業させます。前身の「箕面有馬電気軌道」も、そのひとつでした。


時代が進み、沿線の開発が展開されるとともに利用客も増加するのですが、「宝塚線」はその「路面電車規格」が仇となって、長年、車両の大型化や増結、点在する急カーブの改良などが思うように進められませんでした。


昭和50年代に入って、ようやくそれらに対する本格的な改善が進められた、という経緯がありました。そのあたり、他の「神戸線」や「京都線」とはまったく異なる事情です。



そんな歴史の深い「宝塚線」ですが、沿線風景を代表するものが模型で再現されていました。
同じ豊中市内で「国道176号線」を跨ぐ「牛立架道橋(うしだちかどうきょう)」です。


「宝塚線」は年に数回、乗ることがあるのですが、梅田を出てからほどないところにあるこの古い橋梁、味わいがあるなといつも気になっていました。


鉄骨を三角に組み合わせた「トラス橋」というものですが、この方式の橋とはいうと、川を渡る例が相場です。部屋をふと振り返った先に見つけた「2022京阪電車カレンダー」より。


ですので、これが街中で、さらに跨いでいるのが車や人の往来が激しい道路だというのに、インパクトあるなあと感じます。



架橋されたのは、いまから80年近く前の1935(昭和10)年だとのこと。
ということは、前後の人道トンネルも当時のもの。モダンなデザインに味わいがありますね。


「十三駅(じゅうそうえき、大阪市淀川区)」で「神戸線」「宝塚線」と接続。そこからはそれらと「三複線」となり、淀川を渡りますと…



そして終着駅の「梅田駅(同北区)」に到着。

昭和30年代後半〜40年代と思われますが、ものすごい数の乗客…阪急に限りませんが、大阪近郊の朝のラッシュは、大概このような感じだったようです。いまからでは想像もつきません。


「宝塚線」ひいては前身の「箕面有馬電気軌道」には、このようなエピソードがあります。
毎度おなじみ「フリー百科事典Wikipedia#阪急宝塚本線」より。


開業当初は、畑以外何もないようなところを走る区間が長いことから「ミミズ電車」と皮肉られ、採算性に疑問の声も多かった。


しかし、同社の専務(実質の会社代表で、後に社長となる)であった小林一三(こばやし・いちぞう、1873-1957)は路線が開業するやいなや沿線開発を積極的に推し進め、住宅地や遊楽施設をつくり上げ、折からの大阪人口の増加と職住分離の習慣化によって乗客獲得に成功する。これは、日本の私鉄経営モデルの模範となった。



ということで知られています。


「乗客は鉄道が創る」という言も一三翁にはあったそうですが「鉄道会社が郊外に開発した住宅に住み、その鉄道で都心へ通勤する」という、いまでは当たり前の生活スタイルは、この「宝塚線」からはじまったという訳です。





その観点は、鉄道事業のみならず、ターミナル・梅田に、いま居るこの「阪急百貨店」を開業したことも、特筆すべきことでしょうか。



鉄道を中心とした都市開発(不動産事業)、流通事業(百貨店、スーパーなど)、観光事業などを一体的に進め相乗効果を上げる私鉄経営モデルの原型を独自に作り上げ、後に全国の大手私鉄や民営化したJRがこの小林一三モデルを採用し、日本の鉄道会社の経営手法に大きな影響を与えた(出典同「#小林一三」)。

この解説文から、乗客に対しての旺盛なサービス精神が、戦前の昔からあったことに驚きます。まさに「先見の明」ですね。


次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典他「阪急梅田 駅と百貨店とお客様の101年」展 2021年阪急うめだ本店開催 パネル展示より)