みなさんこんにちは。前回からの続きです。
ここは「信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ、奈良県生駒郡平群町)」。
ここからは、手元にあります、
「各駅停車全国歴史散歩30 奈良県」(青山茂著・河出書房新社刊 昭和59年5月初版発行)より、このお寺の由緒について探ってみることにします。
毘沙門天と絵巻の信貴山
信貴山下
毘沙門天・信貴山
生駒山地南部のラクダのこぶのような形をした山が信貴山(標高437メートル)である。
金剛生駒国定公園内にあるこの山は、花崗岩を基盤にした安山岩で出来ており、山腹には毘沙門天絵巻で知られる朝護孫子寺や信貴山温泉郷がある。西方にそびえるのは高安山(477メートル)で、天智6(667)年ここに高安城が築かれた。
平群は、古墳・奈良時代の有力な豪族・平群氏が本拠地としたところで、その「信貴山朝護孫子寺」をはじめ、寺院・神社・古墳の名所・旧跡が数多く点在する、閑静な街です。では、戻ります。
山上にはみやげ物店や旅館が並ぶ。広い大きな池にでると、間もなく朝護孫子寺だ。
ここで述べられている「残る一本の大阪側」が
本題の「東信貴鋼索線」と競合関係にあった「西信貴鋼索線(西信貴ケーブル)」。近鉄ホームページより。
現在、信貴山へのメインルートを成すものですが、こちらについては帰路の際の後日項にて。
朝護孫子寺は信貴山の南東中腹に位置し、境内の広さは23,000平方メートルに及ぶ。
寺伝によると、聖徳太子がこの山を通って大阪の四天王寺へ行こうとしたとき、毘沙門天が現れ、太子が「信ずべし、貴(たっと)ぶべし」といったことから、信貴山と呼ばれるようになった。この後、太子が天王の尊像を彫刻して寺を創建し、10世紀初頭に命蓮上人が中興したという。
そして、伝来間もない仏教を広める意味合いも込め、当時は海べりから波が打ち寄せていた上町台地に建立した「四天王寺(大阪市天王寺区)」へ往来していたことも、よく知られている史実です。
楼門の手前、ずらりと並ぶ千体地蔵を見ながら門をくぐると、石灯籠の続く参道が伸び、やがて本堂や朱塗りの三重塔、多宝塔、塔頭などが見えて来る。
鉄筋コンクリート造りの本堂(毘沙門堂)の舞台は崖の上に張り出しており、眺めは素晴らしい。
「毘沙門天 日本最初 出現霊場」の印に、ここが聖徳太子にまつわる、古き歴史とさまざまな人々からの信仰を集めたゆえんを感じます。
本尊の毘沙門天は福徳開運の仏として信仰を集めており、寅の日は多数の参拝客でにぎわう。
ともかく、前向きに頑張って毎日を過ごしていれば、ご利益に預かれそうです。身が引き締まります。
次回に続きます。
今日はこんなところです。