寺社仏閣と御朱印を巡る~その10「信貴山朝護孫子寺(奈良県生駒郡平群町信貴山)」③ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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みなさんこんにちは。前回からの続きです。

ここは「信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ、奈良県生駒郡平群町)」。


「寺社仏閣と御朱印を巡る」シリーズとしまして、本題の「生駒線・東信貴鋼索線」を開業させた「信貴生駒電鉄」が目指したこのお寺をお参りした際の様子をお送りしたいと思います。



さて、こちらの「信貴山朝護孫子寺」は「寅の張り子」が大変有名なお寺ですが、実は、その由来は詳しく存じませんでした。そういったことで…


ここからは、手元にあります、

「各駅停車全国歴史散歩30 奈良県」(青山茂著・河出書房新社刊 昭和59年5月初版発行)より、このお寺の由緒について探ってみることにします。



毘沙門天と絵巻の信貴山

信貴山下


毘沙門天・信貴山

 生駒山地南部のラクダのこぶのような形をした山が信貴山(標高437メートル)である。

金剛生駒国定公園内にあるこの山は、花崗岩を基盤にした安山岩で出来ており、山腹には毘沙門天絵巻で知られる朝護孫子寺や信貴山温泉郷がある。西方にそびえるのは高安山(477メートル)で、天智6(667)年ここに高安城が築かれた。



ところで、いま訪れている「信貴山朝護孫子寺」は「生駒郡平群町(へぐりちょう)」にあります。グーグル航空地図より。




先ほど散策して来た「旧東信貴鋼索線 信貴山駅跡」は同じ生駒郡ですが「三郷町(さんごうちょう)」。お寺の南端が境界になっています。

平群は、古墳・奈良時代の有力な豪族・平群氏が本拠地としたところで、その「信貴山朝護孫子寺」をはじめ、寺院・神社・古墳の名所・旧跡が数多く点在する、閑静な街です。では、戻ります。




信貴山には二本のケーブルが敷かれていた。
一本は奈良県側だったが昭和58(1983)年に廃止された。


残る一本は大阪側の近鉄信貴山下駅から出ていて、高安山からバスで山上へ。


山上にはみやげ物店や旅館が並ぶ。広い大きな池にでると、間もなく朝護孫子寺だ。



ここで述べられている「残る一本の大阪側」

本題の「東信貴鋼索線」と競合関係にあった「西信貴鋼索線(西信貴ケーブル)」。近鉄ホームページより。


現在、信貴山へのメインルートを成すものですが、こちらについては帰路の際の後日項にて。






朝護孫子寺は信貴山の南東中腹に位置し、境内の広さは23,000平方メートルに及ぶ。


寺伝によると、聖徳太子がこの山を通って大阪の四天王寺へ行こうとしたとき、毘沙門天が現れ、太子が「信ずべし、貴(たっと)ぶべし」といったことから、信貴山と呼ばれるようになったこの後、太子が天王の尊像を彫刻して寺を創建し、10世紀初頭に命蓮上人が中興したという。



なるほど…聖徳太子(593-622)に由来していたのですね。そういえば、太子が活躍していた頃、拠点にしていたのはここから近い「斑鳩(いかるが)の里」。同じく、太子が建立した世界遺産「法隆寺」なども至近です。


そして、伝来間もない仏教を広める意味合いも込め、当時は海べりから波が打ち寄せていた上町台地に建立した「四天王寺(大阪市天王寺区)」へ往来していたことも、よく知られている史実です。



その、斑鳩の里と四天王寺との間にそびえていたのがこの「信貴山」。
地図を眺めていますと、これらの行き来にはここを山越えするのが最短ルートだったことがわかります。なるほど、合点が行きました。




そして、有名な「寅の張り子」については…
当寺の創建について伝承では、敏達天皇11年(582年)に寅の年、寅の月、寅の日、寅の刻に四天王の一つである毘沙門天を聖徳太子が感得し、後にその加護によって物部守屋に勝利した…(中略)

また寺の至る所に張り子の虎が置かれているのは、その逸話に由来している。
(フリー百科事典Wikipedia#朝護孫子寺より)


これも、大変な偶然だったのですね。
寅が崇められているのも、太子の由来でした。

ところで、境内で見かけたこの寅…



なんと、郵便ポストでした。見事に虎柄。
阪神ファンの方には、たまらないのでは…







楼門の手前、ずらりと並ぶ千体地蔵を見ながら門をくぐると、石灯籠の続く参道が伸び、やがて本堂や朱塗りの三重塔、多宝塔、塔頭などが見えて来る。







鉄筋コンクリート造りの本堂(毘沙門堂)の舞台は崖の上に張り出しており、眺めは素晴らしい。



こちらの本堂(毘沙門堂)で、この御朱印を頂きました(志納300円)。


「毘沙門天 日本最初 出現霊場」の印に、ここが聖徳太子にまつわる、古き歴史とさまざまな人々からの信仰を集めたゆえんを感じます。




本尊の毘沙門天は福徳開運の仏として信仰を集めており、寅の日は多数の参拝客でにぎわう。




「毘沙門天」というと一般的には「五穀豊穣・商売繁盛・家内安全・長命長寿・立身出世」にまつわる神様。「七福神」のお仲間です。

見るからに猛々しい、険しい表情の姿というのは、願いを叶えるために我々を鼓舞して、見守ってくださっている…ということになるのでしょうか。それとも、日々のわたしたちの表情、そのものなのでしょうか。


ともかく、前向きに頑張って毎日を過ごしていれば、ご利益に預かれそうです。身が引き締まります。


次回に続きます。

今日はこんなところです。