みなさんこんにちは。前回からの続きです。

今年5月で開業から100周年を迎えた「近鉄生駒線・旧東信貴鋼索線」。


大阪・奈良府県境を成し、古くから霊峰として崇められていた「信貴山(しぎさん)」へ向かった鉄道網にまつわる歴史に触れるべく、現地を巡った訪問記をお送りしています。



グーグル航空地図より。
ただいま「奈良交通バス 信貴山停留所(奈良県生駒郡三郷町、)」。本題の「東信貴鋼索線」があった頃、この停留所の待合所はその「信貴山駅」として活用されていました。



前身の「信貴生駒電鉄」が目指した「信貴山朝護孫子寺(しぎさんちょうごそんしじ)」へは、ここから歩いて10分ほど。もうほどないところまで来ています。



それを前に、思わぬ?ハイキングの寄り道をしています。


「信貴山駅跡」から東側、ふもとに向かう廃線跡の一部が遊歩道として整備されているというので、山を登り下りしていたケーブルカーの往年の活躍を偲びつつ、それをたどっています。



深い緑に囲まれた遊歩道を下っていますが、旧駅舎から3、400mほど進んだところで、急に視界が開けて来ました。


両側から生い茂る木々。廃線跡を想起するのは
ひたすらまっすぐな坂道と、足元に続く朽ちた枕木のみです。


当時のショットから。上下列車が行き違う、だいたいこのあたりでしょうか。出典①。




地元の方によるものでしょうか、道端にはその枕木を重ねたベンチが所々にあったりします。


少し腰掛けてひと休み。空気は大変良いです。



下り坂を歩くこと15分ほど、奥に階段が見えて来ました。ここが遊歩道の終点?




階段を登った先には、廃線跡を横切る道路が。よく思い出しますと、先ほど「信貴山下駅(同)」から乗車した、バスの通り道でした。


廃線跡はこの先、県立高校の敷地に入り込み、以降は「信貴山下駅」へ続く生活道路になっているようです。


地図で確かめると、ここは廃線跡のちょうど中間地点でした。


全長1.7kmだった「東信貴鋼索線」、そうなるとだいたい1km弱は下り道を歩いたことになります。出典同。



それでは、今度はこれを登って「信貴山駅跡」へ戻ることにします。登りのバスも来ないことですし(笑)


行きには気が付かなかったのですが、やはりここは自然豊かな信貴山中。あるじたちの邪魔にならぬようにしなければなりません。




登り道をゆっくり進むのですが、竹林がいい雰囲気です。空に向かってまっすぐ延びる姿、廃線跡ハイキングの励みになります。



しかし、先日の記事で、これは他のケーブルカーより勾配があまりないように感じる、ということを述べたのですが…
そんなことなくて、これはきつい。

いつしか汗はだらだらと、息もフウフウからゼエゼエに変わります。普段、どれだけ運動していないかを思い知らされるので、歩を進めながら自然に反省モードになります(泣)





休憩を繰り返すこと30分ほど。ようやく「信貴山駅跡」に戻って来ました。往復2km弱の道のりでしたが…いや、楽しかったですよ(笑)



日々の運動不足はともかくとして(苦笑)
春や秋の時分は、きっと花々が咲き乱れるハイキングコースになるのでしょうね。自然はいいものです。


無事に「信貴山駅跡」、現在はバスの「信貴山停留所」へ戻って来れました。本気で?よかった、よかった。


毎日山を登り下りしていたケーブルカーの道のりをたどることが出来たのは、なによりです。



さて、ここからはいよいよ今回の主目的地「信貴山朝護孫子寺」へ参ります。

次回に続きます。

今日はこんなところです。


(出典①「さとふる納税クラウドファンディング・奈良県三郷町」ホームページより)