みなさんこんにちは。前回からの続きです。
時代が進み、需要が少なくなっても、勇の父・仙吉(段田安則さん)がこれからも作り続けてほしい、と遺言するほど思い入れが深い、雉真繊維の原点だった足袋。
それが、このような形でひ孫・ひなたの役に立つとは…と、大号泣する勇。
母・安子(上白石萌音さん)と生き別れ、雉真の家で暮らしていたるい(深津絵里さん)。
仙吉が死去し、若きるいが大阪へ旅立とうとしていた頃のエピソードです(昭和37年)。回顧しながら、ちょっとうるっとしてしまいます。第39回(2021年12月23日)放送より。
ドラマの舞台「東映太秦映画村(京都市右京区)」で行われている、その「カムカムエヴリバディ」にまつわる「映画村めぐり」なるイベント、先日の訪問記をお送りしています。
続いては、前回の「日本橋」から近い③。
歩くこと、ほどなく到着。
鍛冶屋や旅籠など、見たところ、江戸時代のよくある街並みのようにも見えますが…実は劇中で、大変気になっていた場面がここでした。
ではここからは、劇中の様子を回顧しながら項を進めます。
岡山編、第8回(2021年11月10日放送)より。
地元の名士で、雉真繊維の跡継ぎとして商いと英語の習得に勤しむ稔(松村北斗さん)。
和菓子屋「たちばな」の看板娘、初代ヒロインの安子(上白石萌音さん)と、互いに惹かれ合うようになって行きます。
しかし、安子に縁談が持ち上がります。
家のためを思い、安子はこれを受けることにしたのですが、大阪に下宿し、商科大学の予科に通う稔へ、最後に会いに行くことに。
単身、岡山から汽車や電車を乗り継いで、稔の下宿に向かいます。
稔と無事に会えたのですが、縁談のことを切り出すことが出来ず。しかし映画を見たり、稔が行きつけの食堂で食事をともにしたりと、最後のデートを噛みしめます。
安子編の中でも、これは特に印象に残る場面でした。最後に別れを告げに来た、安子の切なさが染み入るシーンです。
その安子が降り立ったのが、この「難和電鐵 杉川町駅」。
それが、この映画村のこちらだというので、訪問前から個人的に沸き立っていました(苦笑)
本心を伝えられぬまま、今日中に岡山に帰るという安子を、稔が見送るシーン。
このカットです。
実はこの後、岡山に帰って来たのは安子だけではなく…という、作中初期で最初にストーリーが大きく展開する場面につながります。
いや、感慨に耽ってしまいます。
解説にもありますが、この「杉川町駅」は以降二度にわたって登場します。
稔が戦死した後、雉真の家を出て、まだ幼なかった二代目ヒロイン・るいとともに、生活の場を求めてやって来たのも、ここ。第22回(2021年11月30日)放送より。
そして、岡山空襲で喪った「たちばな」を再建しようと必死に貯蓄していた資金を、復員した安子の実兄・算太(濱田岳さん)が持ち逃げし、その行方を探しにやって来た時。会社名が変わっています。第37回(2021年12月21日)放送より。
ここが登場するいずれの回も、その後に作中のストーリーが動き出すことになるのですが、この駅には、実在のモデルがあります。
大阪・天王寺から、泉州・和歌山を結んでいた「阪和電鉄」。
1929(昭和4)年に開業した、当時としては最新鋭の、超高速運転を企図した私鉄でした。
現在「JR阪和線 杉本町駅(大阪市住吉区)」になっているのが、まさにそれです。
発展著しい阪和線沿線ですが、この駅の一部は昭和初期に建設されたままの、木造建築の姿を残しているのが特徴です。
そういったことで、劇中ではこの駅を、稔や安子、そして幼かったるいが乗り降りしていたということになりましょうか。
ところで、この「杉本町駅」が「杉川町駅」のモデルになったのは、駅前に広大なキャンパスを有する「大阪商科大学(現在の大阪市立大学、今春からは大阪公立大学)」が古くからあることです。ここまで出典①。
安子が稔に送った手紙にも、確りと「大阪市住吉區杉川町」とあります。
安子役の、上白石萌音さんの美しい直筆ということも加わり、なかなかに唸らせる設定です。
先取りして、映画村で同時開催されていた「ひなたの映画村展」展示より。
さらに、グーグル地図より。駅の南側、堺市との境には「大和川」が流れています。
先ほどの、稔が岡山を思い出す情景だというのは「大和川」だと、安子への返信にあります。同じく「ひなたの映画村展」より。
この川べりは、古くから夕景の名所だったそうで、こちらもうまいこと設定を活かしているなと感心します。
この駅については、以前に取り上げたことがありました。ご参考までにどうぞ↑

次回に続きます。
今日はこんなところです。
(出典①「阪和電鉄 沿線御案内」阪和電気鉄道 昭和8年)