阪和電鉄 昭和初期の面影 その117〜「カムカムエヴリバディ」安子と稔とるいの杉本町を歩く④ | 「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」ありのまま生きてこう 自分を磨きながら

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「EXPO2025 大阪・関西万博訪問記」公開中!趣味の鉄道の話題を中心に、旅行記や生まれ育った東大阪、敬愛するロックシンガーソングライター・松阪晶子さんについてなど綴りたいと思います。

みなさんこんにちは。前回からの続きです。

 

ただいま放送中、NHK朝の連続テレビ小説「カムカムエヴリバディ」。

史上初の、3人のヒロインが生きる100年の世代を描く物語ということで話題になっています。
 


初代ヒロイン・橘安子(上白石萌音さん)と、名家の長男で跡継ぎの雉真稔(松村北斗さん)とが互いに絆を深める過程で登場する「杉川町(阪和電鉄→JR杉本町駅周辺がモデル)」を中心とする街について、劇中の展開に沿って実際に探索してみようということをしています。2月3日放送より。

 

 
さて、ただいま「JR阪和線 天王寺駅(大阪市天王寺区)」。
大阪有数のターミナル駅ですが、くだんの「杉川町」もとい「杉本町」へ向かうべくここから、その阪和線に乗ろうかというところです。
 
 
「杉本町駅」は各駅停車しか停まらないので、発車待ちをしている普通列車に乗車します。
「大阪環状線」に直通している「関空・紀州路快速」と同型の車両。高い居住性が人気を博す「225系」という、最新型車両です。
 
 
 
 
ところで、つい最近まで「阪和線」、それもそこで走る「普通電車」といいますと、こちらの「103系」と呼ばれるスカイブルーの車両が長年、主力を務めていました。東岸和田にて、2011年7月撮影。
 
 
 
 
 
阪和線では旧国鉄時代、昭和40年代から投入がはじまりましたが、その車歴は複雑かつ興味深いものが多数あり、殊に「山手線」や「京浜東北線」で初期に投入された車両が平成の末期まで健在であったりと、実に波瀾万丈なものでした。浅香にて。
 
 
関西では、最後に残された「103系」活躍の場のひとつでしたが、2018(平成30)年3月のダイヤ改正で、これらは先ほどの「225系」や「223系」に置き換えられ、すべて姿を消します。我孫子町にて。
 
 
 
 
さらに時を同じくして、こちらのスカイブルー帯を巻いた、快速列車や「紀勢本線」へ直通する運用に用いられた「113系」も、置き換えられました。新大阪にて。
 
 
 
少し前には当たり前のように感じていた阪和線の日常の光景ももう、過去の思い出です。和歌山、天王寺にて。
 
 
それでは、天王寺を出発。
ここからは、動画でその車窓をご覧ください。
 
 
1929(昭和4)年、阪和電鉄がこの駅から開業した際に建設した当時の、古い高架線を南へ進みます。
 
 
特筆されるのは、旧国鉄→JRのそれとは明らかに異なる、阪和電鉄オリジナルの瀟洒なデザインの架線柱が、現在もこの区間に連なって遺されていることでしょうか。
 
 

動画でご覧頂いた、開業から間もないこの高架線を走る阪和電鉄の車両。
無骨な姿ながら、当時としては国内最大級の馬力を誇り、最高時速120kmあまりを叩き出すという超高速運行が可能な電車でした。
 
 
 
前回の記事で触れた「阪和天王寺駅」。
「ワカ山ユキ 超急四十五分」とネオンサインにあるように、阪和の「超特急」は「阪和天王寺駅〜阪和東和歌山駅間(現在のJR和歌山駅)」を45分という超スピードで結んでいました。
 
現在、この区間での「特急くろしお」は、最速42〜43分を要しています。ここまで出典①。
 



現在の阪和線の電車と比べても、スピードでは殆ど互角であったということなので、いかに時代の最先端を行っていたのかがわかるエピソードです。快速列車を通過待ちの鶴ヶ丘にて。
 
(出典①「泉州を貫く軌跡 阪和電鉄全通90周年」大阪府立弥生文化博物館 令和2年度冬季企画展展示より)
 

次回に続きます。
今日はこんなところです。